私的中国講座

私的中国史講座~第12回~

漢の武帝時代のことを適当に

中華民国からど~んと遡って漢の武帝時代のこと。
第3回でさらっと流しましたが、この時期が漢の絶好調の時代です。
まあいわば江戸時代の元禄時代、みたいな物ですか。

前述のように有名な司馬遷が史記を著したのもこの時代で、史書というのはここからはじまり、そして同じような紀伝体で史書は書き続けられます。簡単に言うと通史を「紀」で、人物を「伝」で書くというやり方です。今でも「なんとか列伝」というのがあるでしょう。人物をあれこれ挙げて批評するやり方。あれは司馬遷さんが始めたのですよ。

余談ですが元の時代に「十八史略」というそれまでの18の史書の解説本みたいなのを曾先之という人が書いたんですが、それを現代の作家「陳 舜臣」が「小説十八史略」という形で小説化されています。中国の通史を勉強するためには、この本は欠かせません。ご興味のおありの方はぜひご一読を。(まあ、これも私のネタ本の一つで読まれると困っちゃうところもあるんですが)

この陳 舜臣さん司馬遼太郎さんなんかと同じ大阪外国語大学のご出身で、確か司馬遼太郎さんの1年先輩でいらっしゃったはずです。作風はかなり違いますがお二人とも優れた作家でいらっしゃいます。(司馬さんはもうお亡くなりですが)

随分横道にそれましたが、まあ、皇帝の力は絶大で「封禅」と言う儀式をやったらしいのですが、これは紛れも無い大皇帝だけが出来るという儀式で、始皇帝と漢の武帝しかやっていないらしい。どういうものなのか今はわからないのですが、神に対して祈りをささげる的な事だったのでしょうか?始皇帝にしろ武帝にしろそれを行うという政治的な効果を狙ってのことだから、ことさら詮索してもしようが無いような類のことだろうと思います。

諸星大二郎という漫画家は中国物を書くのが好きな作家ですが、この「封禅」についてもかなり興味を持っているようで、時々この時代のことを書くときに登場させます。
諸星大二郎の「無面目」というのもこの時代を描いた作品です。
基本的には荘子の中に出てくる説話の「混沌」の話を漢の武帝の時代に持ってきて大きく膨らませた話で、諸星大二郎作品の傑作の一つです。

武帝周辺の話ですので、その時代を映す多彩な人物が登場します。
無面目の主人公は「混沌」=「欒大」(らんだい)という方士(まあよく言えば超能力者、普通に言えば手品師、悪く言えば詐欺師みたいなものです)なのですが、私が好きなのはこの物語の案内役(作家はトリックスターという言い方をしていますが)東方朔という人物です。

この人地方で手習いの先生(塾の先生)をしていたのですが、文章でいかに自分がすごいかって言うことを、朝廷に送って、取り立てられてお役人になる人なのですが…。

前出の「捜神記」にもこの人の逸話が載っていますし、「列仙伝」という書物にもその逸話が載せられています。もちろん正史の「漢書」にもその列伝のある人物ですが。まあ、武帝の周辺に居た数多くの相談役兼おどけたピエロ役的な人だったんでしょうね。

「列仙伝」には頭巾をおいたままどこかへ行ってしまい仙人になったと書いてありますが。
「捜神記」では、武帝の行幸中に化け物が現れてそれを酒をかけるだけで退治した。なんていう説話が書かれています。

この、「無面目」と言う話でも、武帝の相談役をしながら時々仙界に行き仙人と会話するという役を演じています。そして途中で尸解仙となるのですが…。

どうも、仙人にも位があって天仙、地仙、尸解仙と言うそうですが、尸とは生と死の中間という意味なので、まあ仙人では一番下のランクなんでしょうね。
(まえにキョンシーってはやったの知りませんか。キョンシー=僵屍です。この屍の元の字が「尸」なんです。なんとなくイメージが解るでしょ。死んでいるんだけれども動いてくるゾンビ=僵屍のイメージです。だから死と生の中間に位置することをが「尸」の概念のようです。)
武帝の時代を知りたかったら先ずこの漫画を読むことをお勧めします。

前回がかなりシアリアスな内容だったので今回は軽めにこの辺で。

次回はまた何が登場するかわかりません。

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私的中国史講座~第11回~

南京事件と砲艦サンパブロ

実は唐代以降はかなりわかっている史実が多いので書き出すとかなりの量になってしまいます。ですからやはり飛び飛びに興味の赴くままに飛び飛びに書き、それをあとでHPの方に移し、加筆していこうかと思います。学者ではありませんので、あくまで主観的に色んな物語を読んだり、映画を見たり、漫画を読んだりし、それと史実とされていることの比較をしていこうと思います。途中でくじけないようにするためには皆さんの応援が必要です。よろしくお願いします。(応援とはコメントやトラックバックをくれなくても、読みにに来てくださいということです。このシリーズ結構色んなところから見に来ていただいているのは私には解っておりますから続けているのです)

今朝、起きてたメールチェックをして、返事を書いて、またまTVをつけたらなんと懐かしい「砲艦サンパブロ」(1966年 ロバート・ワイズ監督)をWOWOWでやっているではないですか!!3時間を越す大長編(あの時代ですからインターミッション付きですよ!)
えっ!中国史と何の関係があるのと思ったあなた、この映画みてないでしょ!
3時間の戦争物のハリウッド映画なんか見たくないわ、と思ったそこのあなた、
問題は長さやジャンルではないのです(ジャンル分けしたら戦争物ということになってしまうから始末に負えない、ノンジャンルですよ)もしくはどの国の映画かじゃないんです(ハリウッド映画嫌いも納得させられる映画です)。問題は中身です。

南京事件や蒋介石、毛沢東なんかはもう歴史上の事件や人物だと思っているでしょう。でも違います。この時代から現代は実はシームレスに繋がっているんですよ。この時代を実際に知っている人はまだ生きているのです!!
南京事件は1927年(昭和2年の出来事です)
孫文が清を打倒し中華民国を立てたのが1912年(明治45年=大正元年)です。
そしてそれから14年後中国はまた分裂の時代に入る兆しを見せ始めます。
たとえば春秋戦国時代は地域限定ですが、大航海時代を経て中国も誇らしげにその周辺の版図だけを見ていればいい時代は終わりを告げ欧州ともアメリカやロシアともさらにはアフリカや中南米とも付き合わなければならない時代の幕開けだったのです。
1921年に中国共産党が結成され、南京事件のあと1927年に毛沢東が革命根拠地を作り本格的な旗揚げをします。

整理しますと
西欧(特に米英)列強国は基本的に中国に代表される東アジア地区は単なる野蛮人の住む搾取するための地域と考えているということ。民主共和制(米国)、立憲君主制(英国)は基本的に共産主義/社会主義(当事のソヴィエト連邦やいわゆる東欧諸国)とは相容れない。

日本との関係で言えば、孫文らが日本で旗揚げし対清運動をスタートさせたのは有名な話です。その当事日本は明治維新の混乱を乗り越え大正デモクラシーの時代を迎え、不完全ながらも立憲君主制国家となり、男子普通選挙法も行われていた時代の少し後です。まだ国内は平和な時代ですが、列強と並びたい超えたいと富国強兵政策をとっていました。
そして先ほど不完全な立憲君主制と申しましたが、国会はあるけれども、天皇はその決定を覆すだけの権限が与えられるという不完全さをもっていたのです。
英国のように「王君臨すれども統治せず」が完全な立憲君主制でそれは基本的には協和制(アメリカ)と同じものなのです。(今の日本は分類でいくと「民主共和制」の国ではなく、「立憲君主制」の国なのですよ…いまだに。)
ですから、天皇を傀儡となせば容易に軍事独裁政権が誕生してしまう体制だったのです。その欠陥がもう少し後に日本の大陸支配~第2次世界大戦へと繋がるのですが…。

ちょっと横道にそれましたが、中国はほんの少し前に帝政から脱却し(これが孫文らの辛亥革命です)民主共和制に移行したばかりでまだ基盤が安定せず、色んな勢力の寄せ集め的な状態にある。しかし列強の支配からは逃れたい。おまけに、共産主義を主張する毛沢東らが台頭してきており、小競り合いが方々で起こっている。
まさに、中国の周辺は一触即発の状態です。
南京事件はそんな中、国民革命軍の蒋介石将軍らが南京を占領したとき、一部の反帝国主義者の軍人や民衆が外国の領事館や居留地などを襲撃し破壊などの残虐行為を行い、米国人、英国人、日本人ら数名の死者=列強国の被害者を出してしまうのです。
これで日本を含む列強国に中国を攻撃する材料を与えてしまうのですが…。

そういう歴史的背景を踏まえてみたらどんなにすごい映画なのかが解ります。
「砲艦サンパブロ」そんな背景の中(南京事件の少し前)、中国の長江(揚子江)周辺でのアメリカ人の安全を確保するという任務を背負って、長江流域の内陸の町「長沙」に駐留しているのですが…。
(つまり人道的な任務についているので発砲は一切許可されていないのです)
そこに主人公のホルマン一等機関兵(スティーヴ・マックイーン)が赴任してきます。
正義感の人一倍強い彼は、他の乗員とは余りなじめない性格なのですが、フレンチー(リチャード・アッテンボロー)とは馬が合う。そしてまだキャンディス・バーゲンも重要な伝道学校の教師の役で登場します。

昔からとっても好きだったキャンディス・バーゲンです(わー久しぶりに若くて綺麗なキャンディス・バーゲンをみてしまった。)

そして、俳優時代のリチャード・アッテンボロー、大脱走の時もスティーヴ・マックイーンと競演していました。そして後にあの名作「ガンジー」を撮りアカデミー監督賞を獲得するイギリスの名優であり大監督です。

スティーヴ・マックイーンは説明不要でしょう。

当然上記のような背景ですから中国人はアメリカ人のことを良く思っていない。反感を丸出しにしている。アメリカ兵の大半は中国の女性を性欲処理の対象としか考えない。男はただの貧相な野蛮人と思っている。

しかし、ホルマンは機関室の無知な中国人に丁寧に機関の動作の原理から操作方法を熱心に教えようとし、ついには友情さえ感じ始める。

そして、親友のフレンチーは酒場で働く中国人の女の子メイリーをアメリカ兵やアメリカの民間人の性欲処理の対象から必死で守りを真剣に愛するようになる…。

そんな中、南京事件勃発のニュースがサンパブロにも飛び込んでくるのです。つまり発砲許可目前状態になるのですが…。(これ以上はネタバレはしません)

実はこの機関室の無知な中国人を演じているのは「岩松信」=Mako Iwamatsuという日本人のハリウッド俳優なんです。この作品でアカデミーの助演男優賞の候補になっていますが、残念ながら今年(2006年7月)お亡くなりになられたました。謹んでご冥福をお祈りいたします。

また、この酒場の女の子メイリーをやっているマラヤット・アンドリアンという女優さんすごく東洋的な美人で、私流には「切なくて可愛い」のですが…。実はタイ人でフランスの外交官と結婚してあの、『エマニュエル夫人』を書くエマニエル・アルサンなんですよ!

作品全体はやはりハリウッド映画の仕立てで作ってありますので、アメリカ人の眼から見た中国が描かれているのです。しかしその東洋人を見る眼は温かく、多くのアメリカ人を見る眼は冷徹です。人道主義的で、ナショナリズムを否定し、人間としてのアイデンティティーにエールを送る映画になっています。3時間はあっという間に過ぎてしまいます。
この作品が作られた1966年はベトナム戦争の最中です。その時代背景も頭に入れつつそして上に書いたような背景(つたない説明ですが)映画を見てください。
(このベトナムですが中国では南越と書き秦~唐まで中国の領土だったのです。そして三国時代には呉の一部となるのです。今度ベトナム戦争や朝鮮戦争のことも書こうと思っています。ベトナムも中国の一部だったし朝鮮半島はある時代には楽浪郡という中国の一部だったわけですから)

国には国の考え方があり、国同士は争ったり寄り添ったりするのですが、それとは全く関係なく人は別の次元で争ったり寄り添ったりするのです。だから一般庶民である私達が本当に重要なのはやはりナショナリズムなのではなくアイデンティティーを持った個人個人のふれあいなのだということを良く考えないといけないということです。ナショナリズムとアイデンティティーを人は時々一緒のもののように勘違いしてしまいます。最近の例では「愛国無罪」と叫んで日本の建物を破壊して回った中国人とその扇動者です。アイデンティティー=自分が自分であることの意味、存在、立場を十分理解し、それが基盤になった上でのナショナリズムだったらそんなことにはならないはずです。自分が自分であることの意味を理解している人は、反対に相手が相手である事の意味も理解できるはずです。
そんな人間が「愛国無罪」=国を愛していれば何をしても許される、と叫びながら行進し暴動を起こしたりはしないと私は考えます。

しかし、清末以降の中国は実に難しく色んな解釈が成り立ちますし今の時代と密接に繋がっていますので、どの解釈が正しいとはいえないと思います。
しかし、ナショナリズムとアイデンティティーの問題は普遍だと思います。

今回はちょっと長編になってしまいました。

次は何が登場するかはわかりません。

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私的中国史講座~第10回~

頭の「中国歴史映画を見るための」を今回からはずして「私的中国史講座」とします。
まあ中身は同じようなもので映画にこだわらず中国と小説、漫画、古典、などなど色んなものについて語れるところは語っていこうかなと、ぼやくところはぼやいていこうかと思っております。
じつは、一つ前の記事その方向で書き始めたんですが、途中で変な方向に行ってしまってぜんぜん別の話になっちゃったんで「本屋の力量」なんて題名に変更しました。だからこれは本当は第11回なんですけど第10回です。(なんのこっちゃ)

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まずは捜神記から一つ話題を拝借します。

六朝の捜神記の作者干宝(字は令弁)は西晋時代の人です。祖父が呉の将軍の干統で父は地方の官僚で終わった人のようです。ですから呉の出身です。呉の逸話がたくさん出てきます。例えば「ろくろ首」は呉の将軍の朱桓の周辺での話です。「諸葛恪の死」なんていうのもあります。国史の「晋紀」を著した人でもあるそうです。どうもかなりのめずらし物好きの人だったようで「捜神記」といういわゆる志怪小説も書いていたようです。

もっともこの本の解説によると志怪とは怪を志(しる)すということで、小説とは史書にも載らないような「取るに足りない話」ということで、特に今の小説とは意味が違います。(もしかしたら「晋紀」を書くに当たって入れられないようなものを集めてこの本にしたのかもしれません。とにかくいわゆる士大夫階級の知識人です)

中を見ると464個のこぼれ話が簡潔に書かれているだけです。一つ紹介すると「山中の怪」という話があります。

第7回で書いた諸葛恪(つまり呉の孫権に仕える諸葛孔明の甥)の話。
彼が、丹陽郡の太守だった頃の話で、狩の最中2つの山の間で子供のようなものが現れて人を引っ張ろうとしたと云う。諸葛恪は逆にこっちに引っ張り返した。子供は足場を離れると死んでしまった。部下達は「閣下は神通力をおもちじゃ」と感心したが、諸葛恪は「これは溪嚢(けいのう)という妖怪で山の間に出るものだ。そこから引き離せば死んでしまうと『白沢図』という本に書いてある。お前らが読んでないだけで、私に神通力があるわけではない」といういかにも諸葛孔明の甥っぽいことをいう話です。

まあ、こんな話が500弱書いてあるものです。

ただ、現代の作家達はここから話を膨らますネタ本としてよく使っています。
例えば漫画家の諸星大二郎なんかはこの六朝の「捜神記」や清代に書かれた「聊齋志異」いわゆる志怪小説が大好きなようで自分でもこんなのを作りたいって「諸怪志異」というシリーズで書いている。いまたぶん4巻まで出ている。その序で古めかしい文体で書いていますが要約しますと

「干宝が捜神記を書き、蒲松齢が聊齋志異を書いた。自分(横骨介士)も同じ事をしようとしたけど、あらかたこの二つの書物に書かれてしまっている。だから私はそれをネタ本にして新たな物語とすることによって、なんとか先人の好事家に並びたい」

ということで始めたらしい。
その「諸怪志異」の第1巻が「異界録」なのですが、まさに彼の序文のように上記の「山中の怪」を膨らませて表題作の「異界録」を書いています。

この話では最後に諸葛恪は死んでしまいますが、史実では孫権亡き後、呉では一番の実力者となったが、結構無謀なことをして結果的に孫峻らのクーデターで殺されてしまうらしいですが。

(多分この辺りは私のお友達の「みわさん」のほうが詳しいので、コメントでどんと語ってください。よろしく)

この「諸怪志異」は北宋時代(水滸伝の時代です)の話が多く、あえて主人公を作るなら五行先生と呼ばれる道士(まあ道教のお坊さんですね)と弟子の亜鬼(後に燕光 字を青眸 通称 燕見鬼)ですが、色んな話を確かに捜神記や聊齋志異のように書きながら、時々連続小説のようなものが入る話しです。ご興味ある方はどうぞ。

また、「半七捕り物帳」で有名な岡本綺堂もそのものずばり中国怪奇小説集の中に「捜神記」というのを書いています。これは有名な青空文庫で読めますのでご興味ある方はぜひご覧ください。でも残念ながら「山中の怪」は入っていないようです。どうもいわゆる「百物語」みたいなのをやって、中国の志怪小説全体を語るという趣向の小説です。まあ何せ戦前の文書ですので今の小説のようには行きませんが、原本の捜神記よりはずっと読みやすいです。「山中の怪」はないけど、「ろくろ首」の話はいきなり出てきますので。江東ファン三国志の「呉」のファンの方にはとくにお勧めかも。

青空文庫 中国怪奇小説集 捜神記(六朝)

今回はここまで、次回は何が出てくるかは解りません。

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中国歴史映画を見るための(私的)中国史講座~第9回~

三国時代について(趙雲子龍編)

華仔迷の方に予備知識をということで始めたんですが肝心の趙雲さんのことをあんまり書いていなかった。

おまけで三国志特別編「趙雲子龍」の巻きを書きます。

基礎知識として
三国志演義では「槍術の達人」「猛将」「忠義の人」として描かれ、関羽、張飛、黄忠、馬超らとともに、五虎大将軍の一人です。

① 元々は公孫瓚に仕えていた武将で後公孫瓚没後に劉備の家来となったこと。
② 長坂の戦いで曹操軍に劣勢を強いられる劉備軍で単騎、劉備の息子阿斗(後の劉禅)と甘夫人を救ったこと。
③ 赤壁の後劉備の蜀平定で、諸葛孔明、張飛らと共に大活躍したこと。
④ 三国志演義末の北伐時に蜀軍本体の攻撃を成功させるための囮部隊を指揮したこと。

劉備、孔明、五虎大将軍のそれぞれの没年は以下です。
関羽(AD219年)
黄忠(AD220年)
張飛(AD221年)
馬超(AD222年)
劉備(AD223年)
趙雲(AD229年)
諸葛亮(AD234年)
ですから、五虎大将軍の中では一番長生きしたことになり、
五丈原の戦いには参加していないことになりますが、三国志全体を回想の形で語らせるにはもってこいの人物なのでしょう。
「龍の復活」がどんな映画になるのかはよく分かりませんが配役が

超雲(アンディー・ラウ=華仔)
張飛(サモ・ハン=オールドファンにはなつかしの「燃えよデブゴン」のサモハンキンポーです)
周瑜(レオン・ライ)
曹操の孫娘・曹瑛(マギー・Q)

とのことで、
A.周瑜が出るんだったら「赤壁」は間違いなくあるはず。
B張飛をサモ・ハンがやるんだったら上記③の入蜀は必ず描かれるでしょう。

AとBを総合して結論はもう老人の超雲が上記①~④を特に③の赤壁で大勝利してその余勢をかって蜀をとっちゃったっよーを誰かに語ってるって言うスタイルの映画かなと想像しております。曹瑛なる人物をマギー・Qなんかがやるんだけど、これがよう解らん。

でもまあ映画見る前の予習としてはこれぐらいあれば問題ないでしょう。

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中国歴史映画を見るための(私的)中国史講座~第8回~

三国時代について(4)

戦乱期を描いたものの中には実はこれがもとになってこの言葉できたんだよというトリビア的なものが多くあります。例えば釣り好きの人のことを「太公望」というのは、殷の末期、太公望が釣りをしながら文王に声をかけられるのを待っていたという逸話に基づいています。
だから釣りをしている人を「太公望」後ろから見ている人を「文王」といいます。江戸時代の川柳に「釣れますかなどと文王声を掛け」なんていうのもあるぐらいです。庶民はそれを読んで笑ったわけですから、それはその当時一般常識だったのです。

同じ太公望の話では、随分前に家を出た奥さん(馬氏)が出世した太公望のところに来て復縁を迫ったのに対して、太公望はお盆から水滴をたらして見せ、「一度落ちた水滴が元に戻るか?」と馬氏を追い返したと言う逸話から「覆水盆に帰らず」っていうことばがうまれたとか。

春秋時代戦国時代の「覇者」「盟主」「牛耳る」「管鮑の交わり」「臥薪嘗胆」はもう語りましたが、「鼎の軽重を問う」は楚の荘王が周の使者に周の伝国の宝器の鼎の重さを聴いたという故事から、現在の支配者の実力をはかり、とって代わるぞとの意思を示す意味です。

「奇貨居くべし」は呂不韋(りょふい)が後の秦の始皇帝になる政の親を、秦の王族に繋がるこいつを支援しているといいことがあるかもって考えた時の言葉とされています。

三国時代の話にもこういうのが多く存在します。例えば前回書いた「三顧の礼」なんかは今の時代でも良く使われますよね。例えば「日産は『三顧の礼』をもってカルロス・ゴーン氏を社長に迎えた」とか、「野球界を本当に牛耳っているのは、渡辺恒雄だ」とか。
この辺りが使いこなせれば、「おっ、こいつ少し出来るな」ってことになってカッコいいかも。くれぐれも生半可で使い方を間違えませんように。先ず上司に使う前に友達や親兄弟に使って反応を見てくださいね。

随分脱線してしまいましたが、今回は④三国の利害対立~蜀漢滅亡です。

劉備が蜀に入ってからの話です。諸葛孔明は本当は軍師ではなく政治家で、それも結構いい政治家だったようで、正史はそちらをこそ評価しています。でもほんとの話、庶民にとってはそっちの方がどれだけいいか知れやしないって話です。

でも三国志演義はそれを無視して、南方に行って蛮族を平らげ人を生贄にするのを止めて饅頭を使えと勧めたとか(これが実は饅頭の始まりらしいですよ…これも使えるトリビアです)

そんなこんなで国力を充実させたり、領土を広げたりしている間に、「白帝城」で劉備が後は頼む息子を何とか一人前にしてくれと孔明に頼んで死んでしまいます。この有名な「白帝城」は長江の流域にあるそうですが、三峡ダム建設で水没してしまうそうです。もう水没しちゃったのかな。

そんな中、可愛がっていた馬謖(ばしょく)に「絶対に山の上に陣をはるな」って言われるのを無視してやっぱりこーこだって山の上に陣をはっちゃったもんだから大負けして、孔明に大目玉を食らう。孔明としても可愛い馬謖を斬りたくは無いけれどもこれを許したら全軍に示しが付かないものだから「泣いて馬謖を斬る」ってことになるんです。

この馬謖は馬氏の五常といって有名な劉備の家来の5人兄弟で5人とも優れた人だったらしいんですが、その4男の馬良という人が一番優れていたそうでその馬良の眉毛に白髪があったために、一番いいもののことをいまだに「白眉(はくび)」といいます。

そして最後の五丈原の戦いです。これは魏の軍師の司馬懿(仲達)と諸葛孔明が知力の限りを尽くして戦ったといわれますが、「死せる諸葛、生ける仲達を走らす」本当はどのような戦いだったのかは分かりません、結局は戦いの中で諸葛孔明も死んでしまい、ぼんくらの蜀の劉禅で蜀(蜀漢)は滅びてしまいます。

最後はやっぱり滅びる側を主人公にしているから悲劇で終わってしまいますね。だから今回はすぐ使える「トリビア」でまとめてみました。

気が向いたときに、またはリクエストがあったときに次回を書くことにしましょう。

おしまい

なお今回の4回の記事も私の私的な記憶に基づくものですので間違いなどがあったら大変すみません。お気づきの点はぜひご指摘ください。即座に訂正しますので。

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中国歴史映画を見るための(私的)中国史講座~第7回~

三国時代について(3)
ともあれ諸葛孔明は劉備の麾下に入り実は半自動的に鳳雛ことほう統(ほう=广に龍)
もその麾下に納めてしまう。実は「ほう統」は孔明の奥さんの親戚なんですよ。だから半自動的に麾下には行っちゃうわけです。(一人だけで天下が取れるはずの人を、2人も取っちゃったから劉備は宇宙をさえ手に入れられたのでは!でも現実はそんなに甘くない)戦争に勝利するには用兵家や軍師だけでは出来ないのです。(しかし水鏡先生はかなり食わせ物の口入屋だったのですね)それを忠実に正確に実行できる将帥、後方支援=兵站(いまや英語の方が分かりやすいlogisticsロジスティクスつまり兵を飢えさせず、玉切れを起こさせない補給部隊の指揮)

漢の高祖 劉邦には軍師として張良、将帥として韓信、兵站の達人の蕭何がそろっていたので偉業を成し遂げられたのです。
余談ですが、田中芳樹あたりはその辺のことが良く分かっていて、自分の著作「銀河英雄伝説」のヤンウエンリー軍の強さは、用兵家・作戦参謀としての自分自身と忠実な将帥のである艦隊運用の名人フイッシャー、別働隊の指揮官アッテンボロー、白兵戦技の達人シェーンコップ、空中戦の撃墜王のポプラン、後方支援のキャゼルヌなど完璧な人的な布陣にあると思っている。

どうも史実としては諸葛孔明はどちらかといえば後方支援の方を担当していたようで、戦争自体はやはり戦略、戦術、実践指揮は劉備の担当で、どうも忠実に働かない、関羽や張飛に手を焼いていたんじゃないでしょうか。趙雲子龍はどうだったかは分かりませんが、多分あまり逸話が登場しないところを見ると勇猛で忠実な将帥の一人だったろうと想像できます。

諸葛孔明はその知略(詐欺的)で呉の孫権に取り入り魏との和睦に傾きつつあった呉を、劉備と連合して曹操を迎え撃つことを承諾させています。

詳しくは書きませんが、その時の呉の大将軍が周瑜(主戦論者)で幕僚に諸葛瑾(孔明の実兄)や諸葛恪(孔明の甥)がいます。当時、家を絶やさないために一族で別の君主に分かれて仕えたというケースがあったらしいです。日本でも関が原の戦いで石田光成側に真田幸村が、徳川家康側に真田信幸が仕えたことは有名ですが。

ともかく、「赤壁の戦い」こんな中始められます。単純に見ているととっても面白いですから、余り史実など深く考えないで見たり読んだりしてください。
「赤壁の戦い」まではこれぐらいにして次は
最後の悲劇的な「白帝城」「泣いて馬謖を斬る」「出師表」「五丈原の戦い」
は次回に。

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中国歴史映画を見るための(私的)中国史講座~第6回~

三国時代について(2)

三国志演義は
① 黄巾の乱~董卓の専横
② 反董卓軍の勝利~曹操の台頭
③ 三顧の礼~国家三分の計
④ 三国の利害対立~蜀漢滅亡
⑤ 呉の滅亡、魏に変わり晋(西晋)の天下統一

とまあこの5つに分かれていると考えればいいでしょう。
主に小説や映画、漫画のネタにされるのは③④で、ここさえ知っていれば三国志ものを鑑賞するのに事欠きません。

③黄巾の乱によって再び戦乱の世を迎え群雄割拠となった中国も、北方の袁紹が曹操に打ち滅ぼされてしだいに混沌からその形を見せ始めようとします。曹操が次は南方を攻めようとしていた時期で、南方には孫権の呉の国があるからそれを取れば天下統一じゃと曹操は考えたわけです。

その当時、劉備は少しは兵を持ち、関羽、張飛、趙雲などの猛将を抱えていたものの、軍の形を成さないただの流浪の私兵集団にしか過ぎません。

ある時、水鏡という偉い先生のサロンに当代の知者達が集まっておりその中に伏龍、鳳雛と呼ばれそのうちの一人を召抱えただけでも天下を取れるといわれると知り、ぜひとも招きたいものだと思っている矢先、これも水鏡サロンの住人単福なる人物を召抱えます。

その知略のすごさに劉備も舌を巻くのです。しかしそれを知った曹操は単福を引き抜きにかかります。そしてまんまと引き抜かれるのですが劉備の下を去るとき自分の本名は単福ではなく除庶であり、曹操のもとへ行かねばならないが私より優れた軍師を紹介すると、その人物の居所を教えるのです。

それが誰あろう人呼んでで「伏龍先生」こと諸葛亮孔明だったのです。

2回会いに行って追い返され、3度目に行ってやっと会えたという。それも昼寝をしているので劉備は孔明が起きるまで待たされる、というおまけ付きで。なんとも失礼極まりないやつですよね。

この故事をもとに「三顧の礼」という言葉が出来たのです。

このとき孔明は劉備に今のままでは世の中は魏と呉の決戦で決してしまい勝ったほうが天下統一してしまいますよ。第3勢力をあなたがおつくりなさい。そうすればお互い牽制しあって、あなたの天下取りの目も出てきますよ。と教えたことになっています。

これを「国家三分の計」とか「天下三分の計」と称するのですが、2本足では倒れてしまうが、3本足だと安定するなどと言うのは何も孔明の発明でもなんでもない。当たり前のことで、別に賞賛には当たらないしこの程度のことが劉備に発想できないのならば、そもそも君主たる資格が無いとしか言いようが無い。

だから劉備はヤクザの親分程度で、孔明はちょっと物知りの官僚だと言うに過ぎないと私は思いますが。曹操はそれに引き換え、漢詩も作り、諸子百家の一つ孫子の注釈書を自分で作ってしまうほどの秀才で、稀代の用兵家です。彼こそが時代の英雄たるにふさわしい人物だと思います。

ただ一点後世の歴史家を納得させられなかったのは、結局漢王朝から禅譲(譲り受け)という形で、国を簒奪してしまうからなのです。この時代すでに儒教が国教となっていますので、忠君愛国は責務で儒者に言わせると「乱世の奸臣」ということになってしまう。ここがやはり矛盾している。漢にしろ秦から国家を簒奪したんじゃないですか。「それはさておき」ってやっちゃうからおかしな歴史解釈が生まれてしまうんですよ。

水戸黄門の時代と幕末では民衆が考える江戸幕府の意味が違ってくるのですよ。

だから、反動的テロリスト集団の新撰組を沖田総司がカッコいいからという理由で愛してもらってもかまわないのですが、歴史を逆行させ戦乱を長引かせるような行為をした人たちをあなたは本当に愛することが出来るのですか?ということです。

以下次回に。

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中国歴史映画を見るための(私的)中国史講座~第5回~

三国時代について (1)
実は私は大学受験で日本史を取ってそのまま理科系学部に進んだために世界史や東洋史を殆ど学校で勉強した記憶がありません。私の兄や弟は日本史は漢字を覚えないと点を取れないと世界史を選択し、私は日本史は小学校から習っているからという単純な理由で日本史を選択したのです。自慢ではないですが、日本史は模擬試験でも常にトップクラスに入る成績で、日本史と国語と生物しか試験の無い大学なら東大クラスにいけるぐらいだったのですよ。しかし他の科目が足を引っ張りすぎてどおおおんとランクが下がってしまいましたが。だからいまだに西洋史は不得意ですが、日本史との関係で中国史は昔から好きでした。

実際には社会人になってから中国の通史をいろんなもので勉強したんです。
実はその中でも「三国時代」が一番きらいな時代で、それは何故かというと、「三国志演義」があるからなんです。

(以下よそのブログで書いたコメントを基に加筆します。しずえさん、(・ε・)ヾさんごめんね)

三国志演義は余りにも歴史認識を歪めています。どう考えても、歴史的には諸葛孔明は超人ではなくただの官僚ですし、劉備に至ってはただのヤクザの親分ですよ。漢帝国を創り上げた劉邦とは同じヤクザでも人物の格が違いすぎる。

それにしても、三国志演義は儒教思想の一点張りでいかにも漢の再興が正しいという歴史観に貫かれていますのでどうしても、本来主人公であるべき曹操や司馬仲達が悪者になってしまう。曹操は文武両道に秀でた紛れも無い偉人ですし、司馬仲達も曹操に比べれば小物ですが晋を築いた人で、曹操の参謀長です。(死せる公明生ける仲達を走らすなんて絶対ありえない)

それに比べれば、劉備や諸葛孔明は有名ですが、反動的に蜀漢なんかを立ち上げて、歴史を逆行させることをします。そういう意味では本当の悪人は劉備や諸葛孔明の方で、それは新撰組が正しくて坂本竜馬や高杉晋作が悪人だといっているのと同じことなのですよ。

新撰組がカッコいいという風潮がありそれは否定しませんが、歴史的な観点から見ればやはり、体制派のテロリスト集団でしかありません。体制派のテロリスト集団が好きならば仕方ありませんが、たいていの場合それは反民衆的で、今で言うならばアルカイーダのようなものです。多くの人が戦乱を終わらせる明治維新で救われたのならばならば、やはりそちらを支持するのが歴史的には当然で、同じ論法で行くならば三国時代の戦乱の終焉を曹操や司馬仲達によって成し遂げられたのならば、それをこそ評価すべきだと思います。

以下次回に。

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中国歴史映画を見るための(私的)中国史講座~第4回~

からへそして現代まで駆け足ですすめます。
この時代ぐらいになると、日本との交流も盛んに行われていますので、日本にも文献が多い。小説も映画も漫画も随分と多くなってきます。
田中芳樹の「隋唐演義」「風よ万里を翔けよ」(これは私のお勧め、ディズニーの「ムーラン」と同じ話、男装した花木蘭が大活躍します)
わけの分からん六朝末期から隋への統一もどうも余り単純な話ではないらしい。実質的に隋を立てた楊堅は元々北周の官僚で北周最後の静帝の外祖父だったのですが、北斉を滅ぼし陳の一部を分捕り次第に勢力を伸ばしていったようです。そして孫の静帝から帝位の禅譲をうけ隋の文帝となるのです。そして元々傀儡だった梁を併呑し、楊堅の息子楊広が大軍を持って陳を落とし、AD589年に遂に中国統一が完成するのです。
実に300年~400年ぶりの中国統一です。
実はご存知のようにこの隋は長く続かず、楊堅の息子の楊広煬帝は歴史的にも商の紂王と並び称される暴君だったのです。決して暗愚な人ではなく、聡明な人物だったようですが、性格がいけない。やりたいことは何でもやっちゃえって性格の人だったようで、「もっと舟遊びがしたいから黄河と長江の間に運河を作りなさい」なんていってさせてしまうような人物だったらしい。それと「朝鮮半島がほしいから攻めて取ってきなさい」なんていうもんだから3回も高句麗遠征して失敗しちゃう。(花木蘭が男装して参加したのはこの高句麗遠征です)
しかし、こんなことしていたら長続きするわけが無い。結局各所から怨嗟の声が上がる。結果それを糾合したのが当事の「唐公」の李淵だったわけです。当然李淵の方が勝利して「唐」を打ち立てる。李淵には3人息子がいて建成、世民、元吉一番優れていたのが実は次男の李世民で、建成と元吉は結果的には世民に謀殺されてしまう。しかし実はこの李世民が政戦両略の天才でして、この後延々と続く唐帝国の基礎を創り上げてしまうのです。
この時代のその他のトピックは、西遊記はこの時代の物語です。玄奘三蔵法師がこの時代に国禁を破ってインドに経典を探しに行きます。信じられないような暴挙です。そして生きて帰ってくるのですから。きっと孫悟空、猪八戒、沙悟浄みたいな化け物じみた弟子でも一緒じゃなかったら不可能だって考えたんでしょうね。玄奘自身「大唐西域記」を著しているから行ったのは本当の話なんでしょう。この時代を書いた映画や漫画や小説は山のようにある。いまさら紹介しなくてもいいですが、ちょっと珍品の諸星大二郎の「西遊妖猿伝」は呼んでみる価値があります。
が最高潮に達するのは玄宗皇帝時代、この時代に科学・文化・芸術が花開く、長安は世界でも類を見ない国際都市化します。ですから小説ネタには事欠かない。それこそ中国にも日本にも数え切れないほどありますから、何か読んでいるでしょう。
ちょうど日本では奈良~平安時代ですので遣唐船に乗って多くの日本人も空海を筆頭にやってきます。

映画「LOVERS」は確か唐代ですので背景はこんな感じですかね。

唐の後五代十国という分裂期をまた経て「北宋」そして「」に北側を支配された「南宋」時代さらに「」も「南宋」も滅ぼされ「」になり、また漢民族が盛り返し「」今度は女真族に取って代わられ「」そこから「中華民国」日本の傀儡国家の「満州国」そして「中華民国」が毛沢東に押しやられて「台湾」日本が敗れて「満州国」も「中華人民共和国」となって現在に至ります。

以上めちゃくちゃ駆け足の中国史でした。皆様参考になりましたでしょうか。唐代以降はかなり省略していますが、他に解説している人も多いと思いますので、今回はこの程度で。また、宋代や明代、清代にも面白い逸話がたくさんありますので、折に触れて書き足していこうと思います。

なお以上の4記事は殆どは私の頭の中にある事を文字にしたものなので、もしかしたらとんでもない勘違いを書いているかもしれません。その時はご容赦ください。お気づきの方はぜひご指摘ください。

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中国歴史映画を見るための(私的)中国史講座~第3回~

今回は前漢~後漢~三国~晋の巻きです。
そもそも漢帝国を作った「劉邦」という人は実はどこの馬の骨かわからない人なんですよ。まあヤクザな貧乏人だと思います。でもその人柄がよくてどんどん有能な人がこの人の下に集まってくる。そこのところが後に蜀漢を立てる三国志劉備と似ている。
集まってくる人は、後方支援の達人蕭何、天才的軍師の張良、天才的用兵家の韓信と早い時代から実に完璧な人材がそろってしまうのです。それに対し項羽も早い時期に極めて有能な軍師「范増」を得ており、かつての楚の大将軍の家系で従うものも多かったにもかかわらず、范増一人をもまともに受け入れなく自分の力のみをたよって失墜してしますのです。項羽と劉邦の違いはその人望にあったのです。
しかし人というのはどんどんその環境で変わるもので、一旦漢帝国ができてしまうとこんどはだれかに乗っ取られはしないかとの疑心暗鬼を生じるのです。韓信など建国の重臣たちを次々と粛清してしまう。そして何事もなかったように、漢帝国は続くのですが…。
次に小説ネタになるのは漢の皇帝の中でも抜きん出た武帝の登場です。後世漢の初代の皇帝の劉邦高祖とよばれますが、そこから数えて7代目の皇帝が武帝です。
この時代にもう皇帝は何でもできるだけの権力をてにいれていますから、それこそ何でもします。特にどんどん領土の拡大をしていきます。
またこの時期に司馬遷がかの有名な「史記」をあらわします。これがいわゆる中国の史書の始まりで、これ以降前王朝が倒れるとその次の王朝で前王朝の史書が編纂されると言う決まりごとのようなものができます。横山光輝の「史記」はそのものずばり史記の漫画化です。また漫画では諸星大二郎の「無面目」もこの時代の話です。中島敦の小説「李陵」もこの時代を書いたものとして有名です。
隆盛を極めた漢も実は妙なところでつまずきます。
前漢の元帝の皇后・王政君(元后)の甥に王莽というのがいてこいつが王朝を簒奪して「新」という国を立てます。しかし簒奪したものの民衆が言うことを聞かない。漢の復興を望む農民反乱(赤眉の乱)などがであっけなく倒れ、前漢の武帝から5代あとの「劉秀」が後漢の初代皇帝「光武帝」となり漢が再興します。しかしこの王朝は「宦官の傀儡政権」という性格が強く内部からどんどん腐敗していきます。
そしてとうとう民衆は黙っていません。太平道の教祖張角らが反乱を起こします。これが世にいう「黄巾の乱」です。この乱は正規軍の曹操や義勇軍の劉備らの活躍で鎮圧されるのですが…。とうとうまた戦乱の世が始まります。三国時代の到来です。
なぜ三国なのというのには諸説あるようですが一般的には、曹操が「」を立て(本当はその息子曹丕が立て、曹操は死後「太祖武帝」の名前を送られるのですが。孫権が「」を立てたものだから、の正当性を主張するために劉備らが「蜀漢)」を第3勢力として立てたといわれています。三国志演義ではこの第三勢力を立てることを諸葛孔明劉備に献策したとされていますが、史実はどうなのかはわかりません。(これを国家三分の計と称します。)
三国時代はまさに戦乱の時代です。詳しくは書きませんネタばれもいいところですから。
そして魏によってほとんど統一された中国を司馬懿仲達)の孫にあたる司馬炎から帝位を簒奪しとして中国の再統一が完成します。(当の本人たちは簒奪ではなく禅譲=譲受だといっていますが、そのあと世襲を続けるわけですからやっぱり簒奪でしょう)
しかしここからの中国はぐっちゃぐちゃでよう訳わからんというのが真実です。
年表を見たらやたらと国が入れ替わり立ち代り同じ名前の国が出たり消えたりする。
西晋)の成立がAD265年で、が中国の再統一を果たすのがAD589年ですから、320年ほど、ぐちゃぐちゃ状態が続きます。この辺についてはわたしもようわからんから書きません。この時代を六朝というそうですが、政治的にはともかく文化的にはいろいろなものがびっくり箱のように飛び出した時代のようです。たとえば竹林の七賢が出たり、私の愛読書の「捜神記」は東晋(六朝)にかかれたものです。わけのわからん奇妙な生き物たちがいっぱい出てくる山海経(せんがいきょう)色んな人が秦の時代に書き始めたんですが最後がやはり六朝だったみたいです。わけのわからん時代だから、わけのわからん連中がびっくり箱からいっぱい飛び出ていろんなことをしたのでしょう。
なんとか、六朝までたどり着きました。
次回は隋の成立~唐代です。

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中国歴史映画を見るための(私的)中国史講座~第2回~

春秋~戦国時代の続きです。
前回春秋五覇の事を書きましたが、これがまた小説ネタになりやすい。秦の穆公(「長耳」で一時期晋を追われた「長耳」を助けます)、斉の桓公(有名な「管鮑の交わり」の主君で鮑叔牙・管仲などを用い富国強兵を図る。要するに太公望の子孫です)晋の文公(宮城谷昌光の小説「長耳」その人です)、楚の荘王(「鼎の軽重を問う」野心家で有名な人。楚は自分達は中原=中国の中心ではないので公ではなく王と名乗っています、宮城谷さんの「夏姫春秋」に出てきます。)、呉王闔閭、越王勾践(この二人の話は大変に有名な逸話がいくつも残っています。詳しくは海音寺潮五郎の「孫子」の前半をご覧あれ。)

呉王闔閭は越王勾践と戦って負傷、子の夫差に復讐を誓わせて死ぬ。
呉王夫差が越王勾践を討って父の仇を報じようと志し、常に薪の中に臥して身を苦しめ、また、勾践が呉を討って恥をすすごうと期し、にがい胆を時々なめて報復を忘れまいとした故事から「臥薪嘗胆」という言葉が生まれます。
この呉王夫差の麾下に「孫子の兵法」で有名な孫武や楚の国から亡命してきた伍子胥という復讐の鬼がいますし、越王勾践を堕落させようと送り込まれる傾国の美女「西施」がいます。
諸子百家は主に以下の11家らしいですが、
陰陽家、儒家墨家法家、名家、道家、縦横家、雑家、農家、小説家、兵家
そのうちの
儒家=孔子
法家=管仲、韓非子(始皇帝の先生)
兵家=孫武、孫臏
道家=老子、荘子

そして
墨家=墨子
となるわけです。
諸国があっちこっちを攻めまくって世の中は混乱の極みとなるわけですが、その中で博愛を唱える墨家は民を守るために身を粉にして働くのです。
諸子百家の中に縦横家というのがありますが。これがまた胡散臭い連中で、
蘇秦という人は燕の文公に仕えいわゆる六国の合従(連合)をさせ秦の猛威を防いだ人物です。
一方張儀という人物が居て「連衡」という策を用いて秦以外の六国を韓・魏・趙・燕・楚・斉を個別に秦との同盟に引きずり込み、合従を崩してしまうのです。
つまり舌先三寸でも時代は動くということなのですね。今に言う「合従連衡」はここから来ています。
映画「墨攻」で革離が登場する時代は実はこの真っ只中で、秦が張儀献策の「連衡」の真っ最中のあるエピソードということです。実はこの「連衡」がもう完全に完成しつつあり、時代は秦の中国統一の一歩手前まで来ていたのです。だから墨家は実は秦と結ぼうとしており、それに反して墨家本来の考えを曲げない革離は一人で梁城墨守せざるを得なくなるのです。(余談ですが梁城のある燕国は今の北京の周辺です。昔は北京を燕京と言ったそうで、昔は辺境ですが今は中枢になっている地域です)
これ以上書くと色んな映画のネタバレになりますからこれぐらいにして。
遂に秦は中国を統一し厳しい法によって民衆を支配しようとします。
そのために各地を遊説して回るための自分専用の高速道路まで作ってしまうのです。
始皇帝は戦略家としては大変に有能だったのですが、政治家としては今ひとつだったのでしょう。民衆の恨みを買ってしまう。何度も殺されかけることは映画「始皇帝暗殺」や横山光輝の漫画「項羽と劉邦」にありますからご参考に。また映画「THE MYTH 神話」「HERO」もこの時代の映画です。
始皇帝は遊説中に絶命してしまうのですが、宦官の超高や宰相の李斯らの陰謀でぼんくらの胡亥を2世皇帝としてしまいます。実にあっけなく秦は建国の理想を失ってしまいます。
そんな中、陳勝が反秦の狼煙を上げます。いわゆる「陳勝呉広の乱」これで火がつき同じように「劉邦」「項羽」も旗揚げをし大混乱の時代を迎えます。これについては司馬遼太郎の小説「項羽と劉邦」横山光輝の漫画「項羽と劉邦」が詳しいです。映画も一杯あると思いますが、適当なのを思いつきません。
秦は倒れ最後に項羽と劉邦の直接対決するのですが、結局劉邦が勝利し「漢」の時代になるのです。有名なのが最後の最後項羽の「楚軍」は劉邦の「漢軍」に取り囲まれます。ある夜「楚軍」に「楚の歌」がどこからともなく聞こえてくるのです。いわゆる「四面楚歌」楚軍の人々は項羽をとうとう見限って漢に逃げてしまったということです。そしてとうとう項羽もコリャいかんと思ったのでしょう、愛妾の虞姫(いわゆる虞美人)にこう詩を詠じます。

(元歌)
力山を抜き 気世を蓋う
時利あらずして 騅逝かず
騅の逝かざる 奈何すべき
虞や虞や 若を奈何せん

(関西弁訳)
俺はめっちゃ強いのに
運が悪かったんやなあ
俺の馬の騅も前に進まへん
そや、俺の愛人虞美人をどうしたらええんやろ

ともかく秦が滅び漢の時代になります。次回は漢~三国~晋です。

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中国歴史映画を見るための(私的)中国史講座~第1回~

戦前に教育を受けた人ならば当然知っているようなことを実は今の人は知らなかったりする。戦前の教育といっても様々でその生まれた時代背景によって、中国は先生だったり奴隷だったりする。その時代の政治家たちの都合のいいようにその姿を変えて教えるのですよ。例えば江戸時代は儒教の「義、忠」は支配者にとってとっても都合がいいからその部分だけ抜き出して中国を教える。一部の知識人だけがそれ以外の例えば「老荘」や「道教」の存在を知っていて研究する。
だから中国はいろんな意味で日本が利用していたのですよ。

中国は4000年の歴史とか申しますが、確かに古くから文明が栄えた地域だったようです。
どこの国でも神話の時代から始まりますが、中国もその例に漏れず神話からシームレスに実話に変わっていきます。その境目がどの辺りなのか問題なんですが。

今確認されているのは(=「いん」中国では=「しょう」というのが一般的なようですが。取引をする人のことを商人ていうでしょ。商の人は盛んに交易したからいまだに取引する人のことを商人というんですよ。もっとも、区別するために商の国の人を呼ぶときは商人とかいて=「しょうひと」とよみます。まるで「ラピュターびと」みたいですね。)からが一般的です。その前に「(か)」という国が存在したと文献には書かれていますが、学術的にはどうだか分かりません。
実は「墨攻」を見るにあたって「」は重要なキーワードの一つなのです。映画に描かれるかどうかは分かりませんが「」のはじめの王「(う)」という人なのですが。この人がものすごくて、半身不随になるまで民衆のために治水工事をしたという人で、墨家の尊敬の的なのです。
中国では「」→「」と歴史が動いたと考えられています。
ですからとりあえず)からです。
日本でもそうですが、物語になるのは戦乱期です。中国でも同じで最初に小説ネタになるのが商末です。
お待たせしましたそこで登場するのが「封神演義」の羌子牙=呂尚=太公望。西の小国「周」の軍師としてまた周の武王の師として超人的な働きをするのです。
やがて妖女妲己におぼれた紂王を倒してしまい、という国を押し立てます。
これを「周商易姓革命」(周と商が戦って名前まで変わっちゃうぐらい大変なこと)と申します。
この経緯を面白おかしく書いたのが「封神演義」で真面目に書いたのが宮城谷昌光の「太公望」漫画にしたのが横山光輝の「殷周伝説」や諸星大二郎の「太公望伝」なんかです。
この時代はこのくらいにしておいて。この戦乱の結果「」という国が出来上がるのですがその成り立ちは、各地に公を置きそれを周王が束ねるという形を取ります。例えば功績第1位の太公望「呂尚」は中国大陸の東のはずれいわゆる中国の東海地方の「」の国をもらいそこの斉公になります周の文王の弟で武王の叔父さんの周公旦はそのすぐ東の「」をもらい魯公となります。でも何故かこの人「周公」って呼ばれてるんですよね。多分周の摂政だったからでしょう。この時代を周が政治の中心となったので特に「西周」といいます。

しかし馬鹿な王も出ます。西周最後の「幽王」です。きさきの褒じ(じ=女以)この人が容易に笑わず、王が何事もないのに烽火を挙げて諸侯を集めたのを見て初めて笑った。それを何回もやってしまう。それで殺されてしまうんですが。そのために諸侯が集まって政治を司る「協和」という時代になります。

その後は都を東に移したので「東周」と呼ばれます。まあ周が盟主だった時代が終わりその他大勢の中の一つに成り下がったわけです。

」の国で有名な孔子が出るのです。当然孔子は「周公旦」の政治こそが理想であるとの考えの下に「儒教」集団を作るわけです。この辺の話をかいているのが、酒見賢一の「陋巷にあり」だったり漫画では諸星大二郎の「孔子暗黒伝」だったりします。安能務に言わせると最も面白い時代でいろんな考え方が百出します。この時代に出てきたバラエティーに富んだ考え方を「諸子百家」といいます。この時代を孔子が「春秋」という書物を書いたため「春秋時代」とも言います。

この時代から、力を持った国が中国を支配する群雄割拠の時代が始まるのです。

特に有名なのが春秋五覇と呼ばれる斉の桓公、晋の文公、秦の穆公、宋の襄公、楚の荘王もしくは斉の桓公、晋の文公、楚の荘王、呉王闔閭、越王勾践

その時々で一番力のある人が諸侯に声をかけ「会盟」をやるんですがその声掛け役を「覇者」もしくは「盟主」といって「会盟」の儀式で牛の頭を分けて食べたらしいのですが「覇者」がその耳を取ることが出来ここから「牛耳る」という言葉が出来たんです。

今日はここまでです。次回は「墨子」登場や「戦国時代」~「漢の成立」までを書きますね。

(ちょっと内容訂正して第3版になっています)

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