音楽

涙が止まらない

今日は風邪でお休みです。実は昨日ソファで寝てしまい、ストーブも切れていたので見事にと言うわけですが(汗)

少し調子がよくなったので、ご無沙汰していたブログの更新をしています。

この日曜日、五木寛之が選んだBS-hiのドキュメンタリーを何本か放送していました。

その中で「世紀を刻んだ歌」というシリーズの花はどこへいった~静かなる祈りの反戦歌』 がありました。

これはいわずと知れたビート・シーガーの名曲「Where Have All the Flowers Gone」にまつわる話を関係者のインタビューなどを交えて紹介したものなのですが。

何度か再放送され私は多分その殆どすべてを見ています。この歌がたどる数奇な運命に実は何度見ても涙がこぼれてしまいます。

公民権運動や学生運動などに遅れてしまった世代の私は、1世代上の人々を羨望の目を持ってみていたところがあります。その羨望の一つの象徴がこの歌やボブ・ディランの風に吹かれてなどに他ならないのです。

はじめはこの曲と意外な2人の人物との関係が語られます。

一人はドイツ出身の往年の名女優マレーネ・デートリッヒです。彼女はドイツ出身ですが主にハリウッドで仕事をする女優でした。そのうちドイツ国内ではナチスドイツが台頭し、結局祖国を捨てアメリカに亡命しアメリカ人となるのですが。

戦後ドイツに帰国したとき裏切り者として迎えられてしまうのです。つまり彼女はその瞬間本来の祖国を失ってしまいます。しかし彼女は「花はどこへ行った」をドイツ語で歌い続けます。

番組中、五木寛之氏のエッセイの中の言葉が紹介されます。歌い終わった後しばらくの沈黙が続き兵士のすすりなきが聞こえそして徐々に拍手が起こり最後には大きな拍手が鳴り止まない状態になったそうです。つまり五木寛之氏はマレーネデートリッヒが「花はどこへ行った」をドイツ語で歌い続けることでやがて国を裏切ったわたかまりが解けた瞬間に五木寛之氏が立ち会ったということだそうです。

もう一人は、東ドイツ出身のフィギュアスケーターカタリーナ・ビット。彼女は18歳の時に出場したサラエボオリンピックで優勝を果たし他のですが、ベルリンの壁崩壊の後28歳のとき統一ドイツの代表としてリレハメルオリンピックに出場を果たします。

彼女は自分が始めて金メダルを手にしたサラエボでの内戦を目の当たりにしてその愚かしさを訴えるためあえて「花はどこへ行った」で演技をします。順位こそ7位に甘んじましたが、その拍手、投げ入れられる花束の数は優勝者よりも多く、人々の感動を誘ったと言われます。

アメリカの一フォークシンガーが書いたこの曲がどのようにして生まれ、そしてどのように歌い継がれたかをドキュメンタリーはつづけます。

ピート・シーガーがロシアの作家ショーロホフの「静かなるドン」の中に書かれているコサックの子守唄から着想を得て、花を摘む少女が結婚しその夫が戦争に行ってしまうという3番までの歌詞を2-30分で作り上げてしまいます。

その曲をピート・シーガーが発表し人々に歌い継がれるのですが、3番しか歌詞がなくすぐ終わってしまうので、兵士は墓石に墓石を花が覆うという4・5番の歌詞を書き足し、はじめの花を摘む少女に戻るというエンドレスの歌に代えたのです。

その後その歌詞で、キングストントリオやPPMやブラザーズフォーが歌い全世界的なヒットとなります。そして、静かなる反戦歌として戦場でも歌い継がれ、ベトナムの前線でアメリカ人兵士が歌っていることが報道されたことをきっかけにして、停戦へと世の中が向かっていったとされています。

ドキュメンタリーの後半の方で語られる逸話として、この曲が大ヒットした時代冷戦状態にあったこの曲は殆どロシアで歌われることがなかったそうです。しかし近年デートリッヒのドイツ語版に惹かれたロシア人のシンガーソングライターが、ロシア語でカバーしてヒットしたと言います。

なんと奇遇なことに、ロシアのコサックの子守唄から着想をえたこの曲が世界を巡って最後のロシアの地花開いたと言うことです…まるでこの歌の内容のように世界を1周してロシアに戻ってきたと言うことになります。

いつまでたってもいたるところで内戦やテロが行われていることは皆様もご存知のとおりで、番組最後の方で、いろんな人に「この歌が歌われなくなる日が来るのでしょうか」という質問を投げかけていますが、そんな時代は来るのでしょうか…。

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足を引き止める声

路上ライブが繁華街のちょっとしたスペースで(多くの場合は勝手に)行われているのを最近良く目にします。多くの場合は自己満足的なものが多くて、ほとんどは通り過ぎてしまいますが。
中にはこの中から「ゆず」のようなバンドやシンガーが登場するのでしょうけれどもそんな人にめぐり合うことはほとんどまれな状態でしょう。

昨日飛行機で出張から帰ってくる道すがら、千里中央を通ったときやっぱりやってました「路上ライブ」

しかし、その中でひときわ伸びやかな声でオリジナル曲をやっていると思われる声が…ひきつけられていってみると…一応プロのシンガーの方でした。

「鎌田純子」さんといわれる方でした。その方のHPにいって得た情報なのですが、主にライブハウスで活動されていて、インディーズのオムニバスCDは何枚か出されているようですが、メジャーデビューはまだみたです。ひきつけられて2曲聴いてしまいました。(私にしてみれば実に稀有なことです)

どうも千里中央にある「せんちゅうぱる」という複合商用施設で定期的に行われている「PAL STREET」という催しで、メジャーデビュー前の有望な新人歌手の方を定期的に紹介するライブらしいです。(数年間毎日千里中央を通っていながら全くその催しを知りませんでした)

この鎌田純子さん伸びやかな声とテクニックのある歌い方をされる方で、アップテンポな曲もバラード系もOKかなと思わせるものがありました。結構疲れてそこを通り過ぎようとしていた私の心になにか染みとおるものを感じて足をとめてしまったのですが。それは彼女の才能によるものなのでしょう。

メジャーデビューされたならぜひともCDの1枚も買わせていただきたいものだと強く感じました。
以下に鎌田純子さんのHPとPAL STREETのHPを紹介しておきます。ご興味のある方はぜひ。

鎌田純子ホームページ☆

PAL STREET

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アリラン(아리랑)

歌手の白竜氏(在日韓国人)がその父が歌ったアリラン(아리랑)のルーツを尋ねて韓国を訪問するドキュメントを見ました。
白竜氏のお父様が歌われていたアリランはいわゆる本調アリランだったようです。

アリラン(아리랑)に関しては前から興味を持っていたのですが、アリランに歌われるアリラン峠は実在の地名ではなくどうも想像上の峠の様で、そこを題材にして歌われる民謡アリランは男女の別れの歌であることが多いようです。

アリランにはかなり多くの種類が合って、今一般に「アリラン」として歌われているいわゆる本調アリランは、色々なアリランを集大成して映画音楽として作られたものだと言うことをこのドキュメントではじめて知りました。

また、一昨日紹介した「トンマッコルへようこそ」の中でも古い形のアリランがちゃんと使われています。

そのようにしてはっきりとした形は無いけれども、精神を受け継いだアリランがやはり朝鮮民族の中からどんどん生まれてきているのですね。

かつて御紹介したsgWANNABE+の「アリラン(아리랑)」はその精神を受け継いだ新しいアリランだったのだと改めて理解したわけです。

sgWANNABE+の公演が今度大阪でも行われることが決定したとの事。

その、すばらしい歌声を大阪でもどうぞ聞かせていただければと思います。

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随分早起きしてしまった

最近生活のリズムが随分狂ってしまって、とてつもなく早起きしてしまったり、とんでもない時間に起きてしまって眠れないことがあります。

あまりいい傾向ではないのですが、生活の変化が生み出すことと受け止めて流れに任せているしだいです。

いま、知人に勧められたK-POPSの「sgWannaBe+」の4集を聞きながらこれを書いています。

先日も少し触れましたが、「アリラン」というパンソリ+K-POPSのクロスオーヴァーはやはり秀逸の出来で他の曲を圧倒して抜群の出来になっています。

某サイトでこのアルバムは全曲日本語訳が完成しています。私もそれを見ながら曲をきいていますが、プロではない唯のファンがそこまでするのは脅威だといわざるを得ないです。

このsgWannaBe+というK-POPSのグループは未だ日本では無名に近いと思いますが、近日日本公演が行われブレイク必至かと思います。

「アリラン」が秀逸なことはすでに申し上げたとおりですが、そのほかに「父さんの靴」という曲があります。

私も父の息子でであり、息子の父なのですが、それをオーバーラップさせて思わずこみ上げてくるものが禁じえなかった曲でした。

作者リードヴォーカルのキム・ジノ氏は幼少の頃父親を亡くされ、あんなに大きかった父の靴が今では自分のがはいても小さくなっている、父を忘れているわけではないのに勝手に生きている自分に対する自戒を描いた曲です。

実際父と息子の関係は複雑で、面と向かって話すことの少ない関係だと思います。
結局ねぎらいの言葉や父に対する複雑な愛憎を表現できないまま去ってしまった父に対する鎮魂歌なのですが、自分に重ね合わせると、目頭がどうしても熱くなってしまいます。

結局父と息子の関係はライバルであり、同志でありという複雑な関係なんですね。きっとジノ君も感情を抱きながら、今では遠い父の面影を追いかけ静かなバラードととして描いたのでしょう。

背景が見えてくるような逸品だと思います。ぜひ何かの形で聞くことがあれば一度お聞きください。

今から2度寝に入ります、おやすみなさい。

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兩班(양반)とsgWANNABE

パンソリ(판소리)というのを御存知ですか?
「宮廷女官チャングムの誓い」の主題歌を歌っていたのがそれだと思って現代では間違いないようです。今では朝鮮半島古来の唱法の一つとして考えてもいいのだと思います。

毎度登場のWikipediaでは以下の説明があります。

パンソリは李氏朝鮮時代の後期、18世紀の初頭に朝鮮半島の中部以南において生じた。その起源については諸説あるが、叙事巫歌あるいは民間に説話を伝承されていた歌唱化したものという説が有力である。それがパンソリとして発展したのは、商業の発達や富裕な平民層の出現など、変動期に差し掛かった当時の社会に、儒教道徳の呪縛から自由な面白い芸能を求める気運があったと同時に、興行が成功する経済的な基盤ができていたためである。
…中略…
演者は広大と呼ばれる流浪賤民の職業的芸能人であった。広大には仮面劇や人形劇、曲芸に富むグループもあったが、パンソリ広大は上記の洗練化とともに歌客として一段高く見られるようになった。唱者として名高い者には、形成期(18世紀)の河殷潭、崔先達、全盛期(19世紀)の宋興禄、牟興甲、権士仁らが挙げられる。こうした経過によって、パンソリは諧謔、風刺、エロティシズムという庶民の興味と、両班の嗜好の両方にこたえる二重的性格を持つに至った。現代では、韓国で民族固有の芸能としてパンソリが尊重されているのに対し、北朝鮮では両班の玩弄物として否定されている。

とあります。
つまりパンソリとは中国のいわゆる士大夫階級の朝鮮の兩班で愛された歌謡なのですが…。

北朝鮮でそれに対しての反撥に対しては更に強く反撥の意を禁じえないです。日本で和歌や俳諧が知識人のものに成り下がったのでしょうか…。いえ全く違います。雅楽を一部の人たちだけのものとしない東儀秀樹氏の努力は無駄なのですか?いえ全く違います。
それらは大輪の花を咲かせていると思いますが違いますでしょうか?

文化を決め付けで葬り去ろうと言う態度こそが国を滅ぼすのです。

私はよくしりませんでしたが、「sgWANNABE」という韓国のポップグループが朝鮮の一番有名な民謡「アリラン」と「パンソリ」と「K-POPS」をクロスオーヴァーさせた「アリラン」を世に出しいま韓国でブームとなっており、近々彼らの日本公演があると聞いております。

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(すっちさん写真拝借しました)

この「アリラン」はまさに涙すべき一品に出来上がっていると思います。

すでに「sgWANNABE」に心酔されてソウル公演に大挙して出かけようと計画されている方がたが居られるのを知っています。

それは、日本やアジア全体で完全な欧米化から少し冷静に自分達のアイデンティティーを見つめなおそうと言うことの一つの表れだと私は思っていますが、まちがっていましょうか?

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高石ともやさんのこと

ウディ・ガスリーやジャック・エリオットに出会ったのも、カーター・ファミリーに出会ったのもみんな高石さんのお陰なんですが登場させるのを忘れていました。

何故か北海道のご出身なのですが、大阪や福井や京都を拠点に活動なさっていらしてとても身近に感じる存在です。

残念ながら生でお顔を拝見させていただいたのはただの一度きりで、花と緑の博覧会の何かのイベントでおこしになっていたのをチラッと拝見しただけですが、お声やお話はラジオやレコードを通じて何度もお聞きしています。

まあ、一方的な片思いに近い関係なのですが。

毎年祇園祭の宵々山コンサートを主催していらっしゃいますが一度も見たことはありません。

U2

いまだにコンサートの最後には私の大好きな「ヘイ ヘイ ヘイ」は歌われるのでしょうか。

夜明けに 夜明けに乗ろう
一番 一番列車でさ
出かけるのさ 歌いながら
歌うよ ヘイ ヘイ ヘイ ヘイ

(中略)

人は さみしい時もある
人は 悲しいときもある
つらくても 歌ったよ
うたったよ ヘイ ヘイ ヘイ

ヘイ ヘイ ヘイ
ホー ホー ホー ホー 
ホー ホー ホー ホー 
歌うよ ヘイ ヘイ ヘイ

ハンティントン氏舞踏病に倒れたウディ・ガスリーの魂そのものの歌声を日本語で蘇らせたのは、高石ともやさんの仕事です。

本当にこの方もメジャーで活躍されない方で、殆ど面に出ない。
だから気になっても消息もわからない。

突然死亡記事になって現れないでくださいね。
(1ファンからのお願いです。)

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バトンタッチ!

「子を持って知る親心」とはよく言ったものです。私の親はまだ存命中ですが
私や、私の兄弟のこと、さらには孫のことも心配でしょうがないといっています。
かつて世襲によって自分の職業が決められた時代「子供は何になるか」を心配する必要も無かったのでしょうが、今は憲法で職業選択の自由が保障されている時代ですから、親の職業を子が継ぐ義務はありません。

今世界の主流の民主協和政体はそれを是とし、いわば何でもありの時代になっています。でも親は「自分の子供は何になるの」って悩みが増えてしまっている。私なんか上の子が就職で、下の子が大学受験のまっただ中。今心配してもどうしようもないのは事実ですが、やっぱりどうなるか心配でしようが無い。馬鹿みたいな親の性ですね。

それでも親の職業を親の背中を見ていて継いでしまうということがままあるんですね。
私の大学時代の先生の持論はそうで、先代のノウハウは次世代にも引き継がれていくべきだとよく言っていました。ですから、職業は世襲すべきだとの論者でした。その論法で行くと私は親の商売「学校の先生」を引き継がなくてはならなかったのでしょうが、引き継ぎませんでした。私だけではなく兄弟全員が引き継ぎませんでした。

でも違う場合もあるんですね。
森山良子さん森山直太郎君が母子であることは皆さんご承知の通り。
二人とも大変有能なシンガーでソングライターだって言うことはもう皆さんの異論の無いところでしょう。
お母さんの森山良子さんといえば「さとうきび畑」がどうしても出てきます。
初めて聞いたのがNHK「みんなのうた」だったのですが、とっても難しい歌です。
森山さんだけではなくたしか「みんなのうた」では別のヴァージョンもあったと記憶していますが、
「ざわわ、ざわわ、ざわわ 広いさとうきび畑は
ざわわ、ざわわ、ざわわ 風が通り抜けるだけ

の歌詞の「風が通り抜けるだけ」の表現が実に難しい。
音の上下を慎重に滑らかに歌わなければ感情が伝わらない。
暑い日差しの中の青々としたさとうきび畑をざわわと音を立てて風が吹いているだけ
その寂寥とした感覚は、静かな悲しみを湛えた風の音だけが聞こえる。たぶん、それが出来たの当時は森山良子さんだけで、私はそれによってこの曲が森山良子さんの曲になりえたと今でも思っています。

息子の直太郎君は彼自身を有名たらしめた「さくら」の中でお母さんの歌った寂寥感
舞い散る「さくら」で表現します。お母さんのうたった悲惨な戦争を思う寂寥感ではなく
友の旅立ち別れをへの思い「寂寥感」です。

今なら言えるだろうか 偽りの無い言葉
輝ける君の未来を願う 本当の言葉
移り行く街はまるで 僕らを急かすように

さくら、さくら ただ舞い落ちる
いつか生まれ変わる瞬間を信じ
泣くな友よ 今惜別の時 飾らないあの笑顔でさあ

友への思い、分かれの寂寥感が見事に表現されていると思います。
それを独唱で歌いきることにより、母の背中を見ながらではあるでしょうが
確固たる地位を築きつつある。直太郎君の曲はそのほかの曲もそんな思いがあふれていて確固たる自分の世界を築いているようです。

こんな親子も居るのだなと思います。

少なくとも親の思いはその核の部分だけでもバトンタッチしていきたいと思います。
こんな変な親ですが、親にバトンタッチしてもらったものをバトンタッチしたいものはバトンタッチできたかなと思う今日この頃です。

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チュウボウの恋

チュウボウって何のことだか知っていますか?
私の娘(いまどきの女の子)から聞いて始めてその意味を理解しました。
「チュウボウ」=「中坊」つまり中学生のお坊ちゃんお嬢ちゃんのことなのだそうで、
述語の使用方法は「最近のチュボウは超ウゼー」となるのだそうです。
つまり私どもが普通に使っている言葉に翻訳しますと「近頃の中学生のお坊ちゃんお嬢ちゃんたちは大変に目障りだ」と言う意味になるそうです。なんか日本語なのかどうなのか良くわからないので、最近の若者言葉を出来るだけ娘から聴いて習得するようにしています。(そうしないと、ネット社会ではおじさんたちはわからない言葉の大波で沈没してしまう)
そういえば「チュウボウ」といえば以前宮崎駿のことを書いたときにちょっと触れた
「耳をすませば」(1995年 近藤喜文監督)は「チュウボウの恋」の話でした。
95年の映画ですから、もう10年前になるんですね。実は青っぽいこんな話や以前書いた「藍色夏恋」(=藍色大門)なんかは大好きなんですよ。

そりゃ、ねっとりした妖女の出てくるのも嫌いじゃないですけれど、こういうさわやかな風が吹きぬけるような青春ものも大好きです。

「耳をすませば」はどうも東京近郊の多分京王沿線が舞台で、「文筆家」になることを夢見る雫という女の子と、バイオリン職人になることを目指している聖司という男の子の恋の物語なんですが…。雫や聖司の将来に対する不安(特に中学生という、初めての受験をひかえ「ここで人生決まってしまうんだって」選択を親や先生達から突きつけられている状態で)本当に真面目に真摯に自分の将来を考え自分の範囲内で葛藤している姿には感動をしてしまう。それを見守るのは実はそれより2世代前の老人達だというのも私の涙腺を見事に開いてしまうのですよ。
中学3年生の雫は自分の後輩達のためにジョン・デンバーの「Take Me Home,Country Roads」(映画の中ではオリビアニュートンジョンの「カントリーロード」が使われていますが)を訳詩しています。

ひろりぼっち 恐れずに 生きようと 夢見てた
寂しさ 押し込めて 強い自分を 守っていこう

カントリーロード この道 ずっと行けば
あの町に 続いてる 気がする カントリーロード

歩きつかれ たたずむと 浮かんでくる 故郷の町
丘を巻く 坂の道 そんな僕を 叱っている

カントリーロード この道 ずっと行けば
あの町に 続いてる 気がする カントリーロード

どんなくじけそうな時だって 決して涙は見せないで
心なしか 歩調が速くなっていく 思い出消すため

カントリーロード この道 故郷へ 続いても
僕は 行かないさ 行けない カントリーロード

カントリーロード 明日はいつもの 僕さ
帰りたい 帰れない さよなら カントリーロード

この歌詞は本来の「Take Me Home,Country Roads」を離れ故郷を離れて生きている人
故郷に帰りたくても帰れない人に、強いエールを送っている。

私は結局故郷に帰ってきてしまいましたが、本当は誘惑に負けて帰ってくるべきではなかったのかもしれません。誘惑に負けないで今も異郷でがんばっている人たちがんばってください。自分の故郷にまだ居る主人公「月島雫」がなぜこの歌詞をかけたのかは知りませんが、製作者の意図は強く伝わってくる佳作です。

Vol_200402151110592

今は歩きつかれた私の応援歌です。
また、多くの音楽ファンの皆様へ。この中で演奏される中学生と老人達の「カントリーロード」のジャムセッションは実に見事ですから、それだけでも見る価値があると思いますよ。
もう皆さんお分かりのようにこの「耳をすませば」は「チュウボウの恋」を超えて色んな人にエールを送る映画になっているんです。
心に風邪をひいたときには、きっと特効薬になってくれることでしょう。

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朝日はもうのぼるよ…

何か今日はまだ書き足りない!

だから連続投稿です。

前にちょっと書いたことありますけど、「男らしいってわかるかい」って歌のこと。
Bob Dylanの「I Shall Be Released」っていう元歌に大塚まさじらが訳詞をつけて歌ってたものです。いわゆるプロテストソングです。
元歌の「I Shall Be Released」の歌詞はかなり抽象的なんですが、「男らしいってわかるかい」は訳詩というよりは元歌の精神を受け継いだ「解釈詞」とでも言うべきものなのかもしれません。

その訳詩の方を一部紹介しますが

奴らは楽なほうをとるのさ
誰とでも手をつなぎながら
でも俺は断じて俺の
考えどおりに動くんだ

奴らとは何か…もちろんこの歌が歌われた当事もは「資本家」なんぞと申しましたが、今では「楽に稼げるお金持ち」と翻訳?した方がいいかもしれません。
私の会社の場合なんか、ある大手外資企業の子会社の外資企業の子会社なもので、いったい誰なのか分かりもしません。随分上の外人の取締役ですら雇われですから。
もしかしたら今頃どこかのリゾートでマティーニかなんかをプールサイドで飲んでいるかもしれません。
別にその人たちを恨んでいるわけではありません。でも、リストラや派遣の首切りなんて全く知らないで生活しているんだろうなと思ったらちょっと腹が立ちます。

「男らしいってわかるかい」はその解題としてこう歌います。

男らしいってわかるかい
ピエロや臆病者のことさ
俺には聞こえるんだ彼らの
おびえたような泣き声が

リストラや派遣の首切りを甘んじて受ける我々を見透かしたように…。
断じて自分の考え通りに生きられたらどんなにか清々することだろうか。

ごちゃごちゃと色んなことを書いてしまいましたが、今目が赤くって「王蟲(オウム)」の攻撃色が出ている状態ですので…。

最後に「I Shall Be Released」では繰り返しこう歌われます。

I see my light come shining
From the west unto the east.
Any day now, any day now,
I shall be released.

この部分を「男らしいってわかるかい」ではこう訳しています。

朝日はもうのぼるよ
少しずつだけどね
その時その日こそ
自由になるんだ

朝日がのぼり、わたしを捉えている何かから自由になる日が来ることを祈りつつ…。


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自転車に乗って

頭の中のジュークボックスの話をしましたが、今日は高田渡さんの「自転車に乗って」
「自転車に乗って、ベルを鳴らし…」
まだ小さかった娘や息子の前で何度もギターを弾きながら歌ってやった曲です。

(写真は3台目と4台目のギターです。歌ってやったのは2台目でした。)

Photo_17

「僕がこの世にやってきたときぃ~」を兄から教えられたときは衝撃的でした。
それは「系図」という高田渡さんの曲でした。
「疲れ果てては、夜空と陸との隙間にもぐりこんで」山之口獏の「生活の柄」に曲をつけた高田渡さんです。

高田渡さんが自作「自転車に乗って」の前に歌っていた「ハイカラ節」を思い出します。
でも、ネットで調べたのとは若干歌詞が違っていました。
高田渡さんのはこうだったと思います。

チリリンチリリンとやってくるは
自転車乗りの 時間借り
曲乗りなんぞと 生意気に
両の手放した シャレ男
あっちへ行っちゃ あぶないよ
こっちへ行っちゃ あぶないよ
それあぶないといってるまに
ころがり落っこった

ネットで調べたのは
「ハイカラ節」(神長瞭月 作詞/作曲)の2番ですが
チリリンリンと やってくるは
自転車乗りの 時間借り
曲乗りなんぞと 生意気に
両の手放した シャレ男
あっちへ行っちゃ ヒョーロヒョロ
こっちへ行っちゃ ヒョーロヒョロ
それあぶないといってるまに
ころがり落ちた

明治の頃の歌で、CDもレコードもない時代少々の伝わり方の違いがあって別ヴァージョンが出来たのでしょう。

(私の記憶違いかもしれません)

高田渡さんも、昨年お亡くなりになりました。
私に影響を与えた人がどんどん死んでいく…。
などと、落ち込んではおられません、私の人生はまだまだ長大です。
次の休みには「自転車に乗って」どこかに出かけましょう!!!


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雨が降れば川底に沈む橋

「かんじクン」(私の主治医)の仰せに従って、今日も少しお散歩を。
この間よりもさらに秋の風情が色濃くなっています。
「晴れたらいいね」(作詞・作曲吉田美和 DREAMS COME TRUE)
  山へ行こう 次の日曜 昔みたいに
  雨が降れば 川底に 沈む橋越えて…
ドリカムのこんな歌を口ずさみながら歩き始めました。
庭の柿ももうこんなに実っています。

Photo_10
子供の頃よく遊んだ辺りはどうなっているだろう、というのが今日の散歩の目的です。よく遊びに行った山(里山なんていいかたしますが、どうも造語っぽく、いかにもインテリが付けた名前のようで大嫌いな言葉ですが、いわゆるそういうところです)
ああ、もう栗も成っている。

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農道の傍らには蕨もある。よく登った崖はどうなっているかと思ったのですが、草が生えてしまったのか見つかりません。

コスモス畑に変わってしまっている休耕田。
手入れが余り行き届いていない農地が広がってしまっていて…若干落胆。

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そしてあの山の向こうには。

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10年ほど前にあの山の向こうにゴルフ場が出来、ここらの山は完全に保水力を失ってしまっています。だからこの辺りは大雨が降ると小川が氾濫して水浸しになってしまっている可能性があるのです。その上、ゴルフ場や田畑で使う除草剤や農薬。昔は魚も棲み、蛍も舞う小川だったのに…。

「晴れたらいいね」じゃないけど、 今じゃ、「雨が降れば 川底に 沈む橋」も出来てしまうのですよ。

Photo_15
開発・利権・自然破壊…。
帰ってきて、体は心地よく疲れたのですが、心も少し疲れてしまいました。


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鳥の視点

娘に「女性ヴォーカルでお勧めはって」
聞いたことがあります。
娘にその名を聞くまでは名前さえも知らなかった「COCCO」が彼女のご推薦でした。
買ったばかりだって言う最新アルバム「ザンサイアン」を娘に借りて早速視聴してみました。急に叫んだりするロックもありますが、静かな曲もいくつか含まれています。
その声はとっても気に入りました。早速iPODの中に…。
先日ライブの生中継があったので見ました。
あの独特の語り口調。自分のことを「あっちゃん」と呼び、ウチナーグチ?(ウチナーヤマトグチ?)
でも、どうしてあんなに魂をすり減らすように歌うのだろうと思います。引き込まれていくのは確かです。きっと、器用には生きられない人なんでしょうね。

ザンサイアン」の中に「四月馬鹿」という曲がありますが、その中で繰り返し使われる歌詞があります。

きっと あの空の向こうで 鳥は 虹を見るだろう

何故かこの歌詞を聴いたときに芭蕉の俳句「荒海や佐渡によこたふ天河」が浮かんできました。誰かがこの句は「上空から佐渡を俯瞰したような視点でなければ詠めない」と言っていたのを思い出したからでしょう。
きっと彼女もこの詞を書いたとき、「鳥の視線」になって「あの空の向こうで虹を」見ていたのでしょう。
ある種の芸術家や、スポーツ選手はものを俯瞰した視点で見ることが出来るといいます。
COCCO」もそういう人なのでしょうか?

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その歌を聴いたら

その歌を聴いたら特定の場所を思い出すということがありませんか?
私にはいくつかありますがその中でも印象に残っている二つを紹介します。

国道3号線を南へ久留米から八女の方向に向かって走らせているときに聞いたのが
1981年10月「悲しい色やね.」(作詞:康 珍化 作曲:林 哲司 上田正樹)

「にじむ街の灯を ふたり 見ていた …」

上田正樹は古い人なので声も良く知っていましたから、すぐ彼の曲だと分かりました。その当時やっと「九州弁」にもなれた駆け出しの営業だった私には、その曲がふるさとに戻って来いと誘っているような気がして、「にじむ街の灯」ならぬ、にじむフロントグラスになってしまって…車を路側帯にとめた記憶があります。

東京で早稲田通りを東へ杉並から走らせていて落合の辺りで聞いたのが
1991年4月「Eyes to me」(吉田美和 作詞、中村 正人 作曲 DREAMS COME TRUE)

 「こっち向いて笑って 照れないでSmile, Smile, Smile …」

なんて軽快で歌のうまい人なのだろう、いったい誰が歌っているのだろうと思い聞き入ってしまいました。きっとこんなにオシャレに歌える人は東京の人に違いないと思ったのですが。これを歌っていたDREAMS COME TRUEの吉田美和さんは北海道の郡部の出身でした。(歌の印象だけでは出身地までは当てられませんね)
ちょうどこの年の4月に娘が小学校に入学したばっかりでしたが、私は仕事に行き詰まり転職を考え始めていた時期でした。

こんな歌を聴くと、目の前にそのときの風景が、心にそのときの気持ちまで浮かんできます。不思議ですね。

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