涙が止まらない
今日は風邪でお休みです。実は昨日ソファで寝てしまい、ストーブも切れていたので見事にと言うわけですが(汗)
少し調子がよくなったので、ご無沙汰していたブログの更新をしています。
この日曜日、五木寛之が選んだBS-hiのドキュメンタリーを何本か放送していました。
その中で「世紀を刻んだ歌」というシリーズの『花はどこへいった~静かなる祈りの反戦歌』 がありました。
これはいわずと知れたビート・シーガーの名曲「Where Have All the Flowers Gone」にまつわる話を関係者のインタビューなどを交えて紹介したものなのですが。
何度か再放送され私は多分その殆どすべてを見ています。この歌がたどる数奇な運命に実は何度見ても涙がこぼれてしまいます。
公民権運動や学生運動などに遅れてしまった世代の私は、1世代上の人々を羨望の目を持ってみていたところがあります。その羨望の一つの象徴がこの歌やボブ・ディランの風に吹かれてなどに他ならないのです。
はじめはこの曲と意外な2人の人物との関係が語られます。
一人はドイツ出身の往年の名女優マレーネ・デートリッヒです。彼女はドイツ出身ですが主にハリウッドで仕事をする女優でした。そのうちドイツ国内ではナチスドイツが台頭し、結局祖国を捨てアメリカに亡命しアメリカ人となるのですが。
戦後ドイツに帰国したとき裏切り者として迎えられてしまうのです。つまり彼女はその瞬間本来の祖国を失ってしまいます。しかし彼女は「花はどこへ行った」をドイツ語で歌い続けます。
番組中、五木寛之氏のエッセイの中の言葉が紹介されます。歌い終わった後しばらくの沈黙が続き兵士のすすりなきが聞こえそして徐々に拍手が起こり最後には大きな拍手が鳴り止まない状態になったそうです。つまり五木寛之氏はマレーネデートリッヒが「花はどこへ行った」をドイツ語で歌い続けることでやがて国を裏切ったわたかまりが解けた瞬間に五木寛之氏が立ち会ったということだそうです。
もう一人は、東ドイツ出身のフィギュアスケーターカタリーナ・ビット。彼女は18歳の時に出場したサラエボオリンピックで優勝を果たし他のですが、ベルリンの壁崩壊の後28歳のとき統一ドイツの代表としてリレハメルオリンピックに出場を果たします。
彼女は自分が始めて金メダルを手にしたサラエボでの内戦を目の当たりにしてその愚かしさを訴えるためあえて「花はどこへ行った」で演技をします。順位こそ7位に甘んじましたが、その拍手、投げ入れられる花束の数は優勝者よりも多く、人々の感動を誘ったと言われます。
アメリカの一フォークシンガーが書いたこの曲がどのようにして生まれ、そしてどのように歌い継がれたかをドキュメンタリーはつづけます。
ピート・シーガーがロシアの作家ショーロホフの「静かなるドン」の中に書かれているコサックの子守唄から着想を得て、花を摘む少女が結婚しその夫が戦争に行ってしまうという3番までの歌詞を2-30分で作り上げてしまいます。
その曲をピート・シーガーが発表し人々に歌い継がれるのですが、3番しか歌詞がなくすぐ終わってしまうので、兵士は墓石に墓石を花が覆うという4・5番の歌詞を書き足し、はじめの花を摘む少女に戻るというエンドレスの歌に代えたのです。
その後その歌詞で、キングストントリオやPPMやブラザーズフォーが歌い全世界的なヒットとなります。そして、静かなる反戦歌として戦場でも歌い継がれ、ベトナムの前線でアメリカ人兵士が歌っていることが報道されたことをきっかけにして、停戦へと世の中が向かっていったとされています。
ドキュメンタリーの後半の方で語られる逸話として、この曲が大ヒットした時代冷戦状態にあったこの曲は殆どロシアで歌われることがなかったそうです。しかし近年デートリッヒのドイツ語版に惹かれたロシア人のシンガーソングライターが、ロシア語でカバーしてヒットしたと言います。
なんと奇遇なことに、ロシアのコサックの子守唄から着想をえたこの曲が世界を巡って最後のロシアの地花開いたと言うことです…まるでこの歌の内容のように世界を1周してロシアに戻ってきたと言うことになります。
いつまでたってもいたるところで内戦やテロが行われていることは皆様もご存知のとおりで、番組最後の方で、いろんな人に「この歌が歌われなくなる日が来るのでしょうか」という質問を投げかけていますが、そんな時代は来るのでしょうか…。












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