映画・テレビ

贔屓目か?

ずっとハ・ジウォンさん主演の「ファン・ジニ」を観ています。

まさに贔屓目なのかもしれませんが、彼女はいい!!
子役の娘からすぐに引き継いだのは正解だったかもしれません。
子役の娘も結構いい雰囲気だったですから。

でもハ・ジウォンさんに代わってもその雰囲気は持続したまま違う方向に展開していっています。

確かにハ・ジウォンさんは綺麗な女優さんです。でも私が彼女を好きなのは、単に見目麗しいからではなく色んな表情をその時々で見せてくれるからです。

「チェオクの剣」の時もそうでしたが、今回もそうです。

私の嫌いな顔も見せますし、そうでない表情も見せる…そういう彼女がすきなのだと思います。やはり贔屓目でしょうかね!!

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Never Say Never Again

最近007シリーズの「ロシアより愛を込めて」を久しぶりに見て、やっぱりジェームス・ボンドはショーン・コネリーだなと思ってしまいました。

ジェームス・ボンド役のころのショーン・コネリーが当時の自分にとって好ましい人物だったかどうかは別にして、今の自分にとってはショーン・コネリーのジェームス・ボンドは最高にかっこいいと思いますね。

コネリーの007復帰のNever Say Never Againは彼の最後の007だと思いますが「もう一度はないなんて言わないで」とは題名からしても実に粋なものだと思います。当時53歳今の私より年上です。

もう次はないよ、と言われるのは実につらいことです。人間やっぱり次があるからと思って生きているところがありますので。

やっぱり「Never Say Never Again」ですよね(笑)

もう、ショーン・コネリーに007は無理にしても、私はまだ「Never Say Never Again」の彼の年に達していませんから、まだNever Againとは言いません。

本当に更新がまばらで申し訳ないですが、今日友人と飲んでいて、ふとそんなことを思ったのでちょっと酔った勢いで更新してしまいました。

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最近見た映画(AIKI)

AIKI(2002年 天願大介監督)

結構感動ものでした。

私は物事に対する違ったアプローチを好む性格です。

武術とは相手を倒すための技…技術であることは間違いないと思いますが、何も相手の力と真っ向勝負して打ち滅ぼすだけがそのアプローチではないでしょうというのが「合気道の精神だ」と言うことを学ばせていただきました。

相手を拒絶するのではなくまず受け入れることが「合気」と言うことののだそうです。
その結果として相手は倒れてしまう。
何人の相手が来ようとも相手を傷つけず無能力化してしまうのが「合気」の真髄かとお見受けしました。

主人公は将来を嘱望される新人ボクサーですが事故によって脊髄損傷を患い、下半身不随になってしまいます。

紆余曲折し再び立ち上がろうとしたとき、合気道を知りそこに入門を果たします。

力によらずタイミングや関節の曲げ方や、体の動きに沿った動きで相手を制する合気道は彼の下半身不随による無力感から彼を解放していきます。

これは、私の志向する物事への違ったアプローチと見事に一致する考え方だと思い一気に見てしまい今こうして文章を書いているわけですが。

わたしがこの年になるまで生きてきてやっと悟りえたのは唯一つ「ある考え方の反対側には必ず同じ質と量を持つ違った考え方が存在する」というこの1点だけかもしれません。

つまりこれは何を意味するかといえば、一つの考え方に固執するなかれ、必ず別の解法は見つかります…と言うことです。

以前書いたトポロジー幾何学を生み出したポアンカレの「ポアンカレ予想」の解法はまさにその典型で、いわゆる当時最先端のトポロジー幾何学が解けなかった解法を別の解法によって解き明かされることもあるということなのです。

まあ、私が言いたかったのは、「人生捨てたものではありませんよ」と言うことだけです。

近視眼的に物事を見るなかれ、私は今は常にそのことを座右の銘として生きているつもりですがともすれば自分が自分がと奔走してしまう毎日です。

そういう意味では見てみる価値のある映画だと思います。

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私の好きな映画たち(イルマーレ-アメリカ版-)

観ちゃいました、イルマーレのアメリカリメーク版

「イルマーレ(=LakeHouse 2007年 アレハンドロ・アグレスティ監督)」

若干の設定変更はあるものの、中身は全く同じ話です。

でも中身を知っていても、落ちを知っていても感動するのはやはり元の映画の発想のすばらしさからくるものなのでしょうね。

サンドラ・ブロック少しも私が考えていたような違和感がありませんでした。
失礼しました、大した役者さんでした。

韓国版=チョン・ジヒョン、米国版=サンドラブロック

もともと好きな女優さんではありましたが、私の中でのランキングがこの映画でぐんと上がったのは間違いありません。

双方とも秀作です。

両方ご覧になっていない方はぜひ、片方ご覧になっていない方はぜひもう片方も。

(ここのところ観た映画が全部ヒットしています…大丈夫だろうか次の映画)

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私の好きな映画たち(花とアリス)

久々に観た岩井俊二監督作品でした。

「花とアリス(2004年 岩井俊二監督」

若い女性を描かせると天下一品の監督だと言うことは周知のことです。

鈴木杏、蒼井優という実力派の若手女優の出世作でもあるこの作品はやはり実に淡々と実に奇妙な3角関係を描いた作品です。

只立っているだけで絵になる女優さんをあそこまでさらに魅力的に作り変えるのは並大抵の実力でできることではありません。

圧巻は物語の最後のほうで蒼井優演じる有栖川徹子がオーディションで制服姿でバレエを踊るシーンです。息を呑むような美しさに唖然としてしまいます。

内容には全く触れたくありませんので全く書きませんが、秀作以上の作品かと思います。

機会があればぜひご覧ください。

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私の好きな映画たち(深呼吸の必要)

「深呼吸の必要(2004年 篠原哲雄 監督)」

題名ほどは変わった映画ではないです。極ノーマルな青春映画です。でもこういうものほどないてしまいます。

JALさん提供の沖縄物です。

物語は沖縄のある島のサトウキビ刈りのアルバイトのお話です。そういっただけで内容の想像は付くと言うものですが、それがわかって見ているほうも見ているほうですが(汗)

私的には長澤まさみさんの殆ど台詞のない演技が特に注目ですが、全体として有望な若手俳優を配して秀作以上の出来だったかと思います。

私は沖縄が好きですので、沖縄物には甘いところありますが…。

沖縄のサトウキビ刈り=都会から逃げていくところという設定でお話は進みます。
それぞれの事情を抱えつつ逃げてきた人々の沖縄の春の風景が結構淡々と描かれています。

蟻塚亮二先生の言葉の「寡思多動」を絵に描いたような作品で、都会で抱えた様々なものを「多動」で癒していくのです。
それは今の私にも言えることで、「現代の病み」は「多思寡動」が生み、それがうつ病などの病気を引き起こしているのは間違いないところだと思います。
だから「深呼吸」が必要なのだと映画は私たちに語りかけてきます。

多くは語りませんが、とっても気持ちのいい作品です。見終わった後ああ、沖縄でサトウキビ刈りをしたいなと思わせる作品です。

私は映画評をするとき「私の好きな映画たち」と「最近見た映画」を使い分けていますが、「私の好きな映画たち」と書いたものは私が標準以上と思った作品です。

これは近頃にないお勧め作品かと思います。機会があればぜひご覧ください。

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久々に感動!!

今日は早く帰ろうとしていたら、オダギリジョーくんが

「XXさんちょっと教えてください」

の声に反応して、パソコンでのデータ処理の仕方を教えて、雑談して帰りがやっぱり9時を超えてしまいました。まあ、一子相伝のつもりで彼は育てたいと思っていますので、弟子の問いには絶対の信頼に答えて充分な指導をしてあげなければは私の一つの信念でもありますから。

まあ、オダギリジョーくん(ほんとそっくりです)もそうして聞いてきてくれるのが私にとってはやりがいなのですが。

そんな話ではなくて、帰ってきたらちょうどやっていたNHKの「仕事の流儀」と言う番組で京都の市立高校「堀川高校」の奇跡の学校改革についての番組をやっていました。

中心はその高校の校長先生の荒瀬克己先生でしたが。

その高校は普通科と「探求科」という珍しいコースを設けています。探求科の授業では大学さながらの自分でテーマを見つけてその興味にしたがって自由に研究するということをしているそうです。そのテーマは理科系のものから文科系のものまで様々で、自分が研究したいことを自由に研究させるというものです。

単にその教科を設けたというだけではなく、先生方も真剣にそして真摯に生徒の「知りたい」という望みにこたえるという努力をした結果、毎年国公立大学への現役合格率がうなぎ上りに上昇したということです。

京都はご存知の方も多いかもしれませんが私立>公立の地区で、大学に行きたければ私立に行きなさいといわれる地区です。
その地区で毎年かなりの数の国公立大学への合格を果たす実績を作った「堀川高校」は「堀川の奇跡」と今では呼ばれ、海外からの視察も引きをきらないそうです。

最後のほうで、高校生の環境問題についての国際会議の運営をホスト校の一つとして任されていた同高校の運営を校長はすべて高校生に任せてしまうという決断をしたということが紹介されていました。

教師や、教頭、校長はアドバイスをするだけで基本的には、最終宣言まで高校生だけで纏め上げてしまったのです。

最初は実にぎこちなく大丈夫かなと思われる高校生たちの会議内容でしたが、最後には高校生の責任者が各国との討論を経てその宣言文を発表直前に訂正したいとまで申し出るまで至ったのです。

なんと、高校生が適切な指導でここまでできるようになるのかと…。
その17歳の女子高校生の必至さに思わず感動し涙まで出てきました。

最後に校長先生は言ってました「校長の仕事は黒子です」と。

管理者はそうあるべきだと強く教えられた気がしました。

久々の大ヒットでした。

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最近見た映画(ルート225)

雑食性の私は日本映画も外国映画も面白そうだと見ます。
正直面白くなかったらけなします。どこかで良しと膝を打ったら「佳作」にします。
ですからランキングとしては「駄作」「普通」「佳作手前」「佳作」「傑作」の5段階評価ですかね。

「ルート225(2006年 中村義洋監督)」

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数学のルート225=15=主人公の年齢と国道の225線を引っ掛けた題名なのですが。

主人公のエリ子が弟を迎えに行って、両親の居ないいわゆるパラレルワールドに迷い込んでしまい弟と苦悩する話です。殆ど同じ世界なのですが、友達との関係や両親が不在のことが微妙に違っておりエリたちは必至で元の世界に戻ろうとするのですが…。

人と人との結びつきや関係は自分が思っているより確固としたものではなく微妙に揺れ動いていることを描いているように思います。

やはりこの映画は主人公のえり子こと多部未華子さんの存在感が光っています。

彼女をはじめてみたのは「HINOKIO (2004年 秋山貴彦監督」でしたが、極めてインパクトの強い役をしていました。そしてWOWOWのドラマWの「対岸の彼女」でもとってもインパクトのある演技をしています。たぶん天才子役の一人です。

佳作とまでは行きませんが、見てみる価値のある映画化と思います。ある水準は超えているかと思います。

日本映画は最近とてもがんばっています。見放さないようにして下さいね、皆さん。

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最近見た映画(トンマッコルへようこそ)

最近見た韓国映画の中では一番良い出来で「佳作」と評してよいかと思います。

「トンマッコルへようこそ (2006年 パク・クァンヒョン監督)」

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朝鮮戦争当時の朝鮮半島の話で、激烈な戦闘が繰り広げられている中、世間から隔絶されたトンマッコルに米軍の将校と南と北の朝鮮の兵士が迷い込むと言うお話です。

朝鮮戦争当時ですから、世間は戦争で殺気立っているのですが、山奥の村トンマッコルではそんなこととは全く無関係にのんびりとした時間を送っています。
米軍の将校と南と北の朝鮮の兵士は最初はいがみ合いながらも村人との交流を通じて次第に打ち解けていくのですが…。

劇中北の将校が村長に

「あなたは怒鳴ることなく村人をうまく統制している。その偉大な指導力の秘訣は何ですか?」

と尋ねるシーンがあります。村長は静かに

「たくさん食べさせること」

とだけ答えます。

やがて、村の存続を脅かす事態になっていくのですが…。

中国春秋時代の名宰相として名高い菅仲(菅子)の言葉に「衣食足りて礼節を知る」というものがあります。
この思想がこの言葉の元となっているのだと思いますが、奥深い一言でこの映画を貫いている思いを象徴しているかと思います。そしてその想いが人の胸をうつのかと思います。

冒頭にも書きましたが、佳作と評していい映画かと思います。

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最近見た映画(ハチミツとクローバー)

「ハチミツとクローバー(2006年 高田雅博監督)」

もう随分前から娘と家内がああだこうだといっていたので原作漫画の存在は知っていました。どうも小耳に挟んだところでは「他愛の無い恋愛漫画」みたいで別段原作を読む気にもなれずにいました。

本屋の漫画コーナーにポスターが貼られていて、映画化されたらしいとの事も知っていましたでも別段見る気にもなりませんでした。

先日何気なくWOWOWの番組ガイドを見ていたらその放送があることを知り、主演があの蒼井優である事を知り少し興味を持ち、娘と家内も見たがるだろうと予約しておきました。

主演の「花本はぐみ」役…ああいう役をやらせたら蒼井優は天性の何かを発揮するようですね。とても好演していたと思います。

「硫黄島からの手紙」で憲兵くずれの役を好演していた加瀬亮も好演していたと思います。

西田尚美や堺雅人や利重剛が脇を固めるといった布陣になっていましたが、これが結構効いていたかと思います。

原作を知らないせいか「割と良かった」が感想ですが、佳作と評するには今一歩な作品だったかと思います。

実は原作を娘から借りて少し読んだのですが…あれはどうも受け付けにくいですね(苦笑)

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私の好きな映画たち(マーサの幸せレシピ)

「マーサの幸せレシピ」(2001年 サンドラ・ネットルベック 監督)

ドイツの映画を書くのは初めてです。実際あまり見ることも少ないのですが。

この作品は秀作だと思います。

ドイツのシェフが主人公の話です。ドイツと言うとザワクラウトとソーセージとジャガイモとビールみたいなイメージがあってシェフ=美食と結びつかないイメージがありますが、これは他国の人の思い込みですね(汗)
日本だってスシ・テンプラ・スキヤキですもんね(笑)

主人公のシェフ マーサは街でも有数のシェフ…でも自分の作る料理にフランスのシェフにも負けないものがあるという強い自負を持っています。
あるとき、私生児の女の子を抱える姉が自動車事故で急死し姪を引き取ることに…。

料理一筋で生きてきて子供の扱いが全くわからないマーサは、母親をなくしたショックで食事をしない姪リナに悩み続けるのですが。

そこにイタリア人の料理人マリオが職場に入ってきてやがてリナの心が開いてくる…と言った物語です。

ドイツ人の勤勉さはいまさら言うまでも無く、逆にイタリア人の明るさも言うまでも無く、その対比が面白く、その二人の感性がやがて姪のリサの心に響きあっていきます。

ドイツとイタリア…水と油のような気がしますが、それに日本を加えた三国はいわずと知れた関係です。そういう意味から言っても日本人として大変に興味深い映画であり、そんな関係を通り越して人と人との結びつきは国の云々とは全く無関係に始まり全く無関係に続くのですよ。

極めて精緻に作られた映画ですが、その感情の起伏や人への思いやりの深さの表現が強く見るものの心を打つ秀作かと思います。

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何故だろう?

この間撮った「四月の雪」コピー1回可能の表示が出ていたのに…

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昨日撮った「博士の愛した数式」には出ていない。何故だろう?
簡単にDVDに焼けてしまった。

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私の好きな映画たち(ふたつの恋と砂時計)

「ふたつの恋と砂時計」(2005年 コン・ジョンシク監督)

結構複雑な構成の映画です。だから一度見ただけでは物語を理解できない人が多かったかもしれません。私にしたところで、2回見てなんとなく全貌を理解したしだいで…(汗)

ハ・ジウォンさんが目を曇らせたのですよ!!

本当に久しぶりに彼女の主演映画を見ました。相変わらず濃いけど薄味の演技を堪能しました。(彼女=ハ・ジウォンさんの魅力はそこに尽きると思います。顔も体つきも結構濃厚なのですが演技がさらっとしていて後味が爽やかな感じ。だからこそいろんな役を演じ分けられるのかと…。)

物語は有名な小説「あしながおじさん」を韓国風にモディファイしたものですが、原作の風味はありません。

原作の「どこの誰かはわからない人に援助を受けて成長する」はそのままなのですが、内容的には全く違う物語です。

日本題名の「ふたつの恋と砂時計」は珍しく内容にマッチしたつけ方かと思います。
私は原題名の「あしながおじさん」を引きずって1回目を見たためによく理解できなかったのかもしれません。

「どこの誰かはわからない人に援助を受けて成長する」というシュチュエーションを利用しつつ自由に映画を作ったところにこの映画の手柄があると思います。

申し訳ありませんがハ・ジウォンさんの大ファンなのでこんな見方なってしまっているのかもしれません。

今回は実に冷静さを欠いた映画評かとはおもいますが、ご容赦ください。

ハ・ジウォンさん…本当に大好きです。

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最近見た映画(涙そうそう)

最近映画鑑賞からちょっと遠ざかっておりました。(5/21に書いた「SAYURI」以来です。)

「涙そうそう」(2006年 土井裕泰監督)

はじめは特に見る気も無かったのですが、子役から「世界の中心で愛を叫ぶ」で一躍脚光を浴びた「長澤まさみ」と最早当代一流の人気男優となった「妻夫木聡」競演で少し話題になった映画ですが。まあ見るまでもなくなんとなく流れや結末が想像出来ましたが…。

この主演の二人きらいじゃないです。むしろ好ましく思っている部類に属しています。
ここには登場させていませんが「ウォーターボーイズ」での「妻夫木聡」は結構よかったし「世界の中心で愛を叫ぶ」の「長澤まさみ」も結構よかった。

(まあ、長澤まさみさんは、私のすきなジュビロ磐田のコーチの娘さんですし…吹石一恵さんといい、そんなんが多いですが)

でも、この手の映画に弱かったのを完全に失念しておりました…(汗)

元になった「涙そうそう」は森山良子の詩にビギンが曲をつけたものです。初めてビギンが歌っているのを聞いたのは数年前ですが、なんていい曲だろうと思っていると、その後森山良子さんの夭折されたお兄さんのことを歌った曲だということを後になって知りました。

森山良子さんといえば「さとうきび畑」+ビギンは沖縄出身のブルースバンド=「涙そうそう」だったのですが、いつの間にか夏川りみが歌って大ヒットするではありませんか。隠れた名曲と思っていたところ、沖縄を歌った曲の代表作のようになってしまいました。

結果は押して知るべし…。ぼろぼろ泣いてしまいました(笑)

はじめの数分でこりゃ泣いてしまうなとわかったのですが、やっぱりはめられてしまいました。

おまけで、やっぱり、おばあは「平良とみ」さんでしたね(笑)

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最近見た映画 「SAYURI」

「SAYURI」(2005年 Rob Marshall監督)
かなり評価の分かれる映画だと思います。
日本人が見ると、日本であって日本で無いような世界…これが印象です。日本人が見て日本だと思えないものが許せない人には見ることをあまりお勧めできない映画です。しかし妙なベクトルを中和させながら見ることが出来れば、純粋な恋愛映画として合格点をあげられる映画なのではないでしょうか。花街での栄達というかなり難易度の高い目標を、恋愛というモチベーションで乗り切っていくサクセスストーリーと見ることも出来ます。

しかし、ミッシェル・ヨーと桃井かおりを一緒の画面で見ることになるとは思いませんでした(笑)なかなかよい配役ではと思っています。
いや、全体的にはよい配役だったと思います。チャン・ツィイーのSAYURI、渡辺謙の会長、役所広司の延さん、工藤夕貴のおカボ、コン・リーの初桃。そしてSAYURIの子供時代の千代を演じる大後寿々花さんが一番の拾い物かもしれません。そういえば千代の父親役で昨年お亡くなりになったMakoこと岩松信さんが出ていらっしゃいました。(Makoのことは当ブログの私的中国史講座~第11回~南京事件と砲艦サンパブロで少し触れています)
しかし日本人からすれば渡辺謙と役所広司がちょっとイメージ的にかぶっていたような気がしてなりません。セリフは英語でいいのですから、ここまで日中混在の配役をするのならば、延さんあたりは香港、中国、台湾もしくは韓国から役者さん持ってきても面白かったかなとも思います。

一方プロデュースという視点から見てみれば、スピルバーグの名前がやはり浮上してきます。
セリフこそ英語ですが、殆ど東洋人だけを使って日本独自の世界を描くというのは、「硫黄島からの手紙」のワンステップ前の試みと見ることが出来るようにも思います。時代的にも丁度同じ頃の物語だと言う点でもそう見ることが出来るのかもしれません。

もし、彼自身が監督して日本を描くことがあったらどのように描くのかを見てみたいと思います。

もし、あなたが「こんなの日本じゃない」って言わない人だったら、見て損をするレベルの映画でないことは確かだと思います。

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CATVのこと

CATVを導入するにあたって、NHK教育放送をゴースト無しに見たいというのが大きなの理由でした。

NHK教育放送は侮れない。私が好きなのは「トップランナー」「サイエンスゼロ」、アニメも侮れない質の高いのやってます。最近始まった「電脳コイル」はちょっと期待していますが…。

そして極めつけは「ピタゴラスイッチ」でしょうか。あの仕組みは慶応大学の研究室で実に真面目に周到に考えられた仕掛けだそうで、ちょっと感動物です。

見たことのない方は一度見てください。見たことのある人は黙ってうなずいてください。

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最近見た映画(黄色い涙)

「黄色い涙(2007年 犬堂一心監督)」

やっぱり女性群に囲まれてしまいました、カップルも何組かいたので黒一点とはなりませんでしたが。まあ、嵐が主演なんで当然と言えば当然の結果なのですが、しかし月曜日の昼一番でほぼ満杯状態というのには恐れ入りました。(たまたま今日は涙腺が硬くてよかった)まだ全国で6ヶ所でしか上映しておらずゴールデンウイークに(428日から)全国拡大ロードショーとのことです。

まあ、たまたま大阪に住んでいましたので、早く見られただけですが。

映画は永島慎二さんとまんがに捧げるというメッセージで始まります。製作者・監督・脚本家の思い入れが伺われ思わずジーンときました。

描かれている漫画家「村岡栄介」は「むらおか栄一」ではなく「永島慎二」として描かれています。

永島慎二は貸本まんがからスタートし、梶原一騎原作の「柔道一直線」で注目されるのですが後に降板し描き手が変わってしまいます。この「柔道一直線」は他の永島作品とは全く異質の物です。そしてその後の永島慎二は売れないが良質の漫画を描き続け2005610日に67歳で永眠されています。

劇中「村岡栄介」がひと夏力を込めて書き上げた作品を、編集者にけなされるシーンがあります。そのとき書いたことになっているのが「かかしがきいたかえるのはなし」なのですが…。

これはまさに

シリーズ黄色い涙/SHINJI.GEKIGA.COLLECTIOIN-NO3

として描かれた作品で、永島慎二の代表作の一つでもあります。奇しくも「柔道一直線」と同じ年の1967年に発表された作品です。月に行きたいと熱望する「かえる」と「かかし」の話なのですが、今でもどこかで読めるのでしょうが?

映画「黄色い涙」では、そんな売れない漫画家とそこに転がり込む売れない歌手・売れない画家・売れない小説家の悲惨で滑稽ですらある生活を描いています。

あんな風でもいいからああいうことをしてみたかった私はいまこんな風にしてここでこんなことをかいています。

しかし(お世辞ではなく)二宮君は本当にいい役者さんになりましたですね。
(嵐が演じているとはいえ)今の若い人たちはあんな生活を見てどう感じるのでしょうか?私も大学時代金が無くてどうしようもないと言う経験をしたことがありますので、雰囲気は分かりますが。「嵐」キャーーーで終わりではないですよね?

(おまけで「かかしがきいたかえるのはなし」表紙と映画のチラシを貼り付けておきます。拡大してご覧下さい。)

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これは見たら泣いてしまうかも!

「黄色い涙(犬堂一心監督)」が封切られました。

何度かこのブログでも取り上げている永島慎二さんの原作「若者たち」の映画化…NHKドラマ「黄色い涙」のリメイク…まあどっちでもこの際いいのですが。

犬堂一心監督は「メゾンドヒミコ」でその実力はしっかり見させていただきました。主演の二宮和也君(嵐)もその実力のほどは「硫黄島からの手紙」で充分見せていただきました。

実はこの原作「若者たち」を読んで、阿佐ヶ谷と言うところにあこがれたものでした。しかし実際に同じ杉並に住むことになり頻繁に行くことになるとは、そのときは夢にも思っていなかったのですが。

この「黄色い涙」という題名は、実は永島慎二さんの漫画にそういう作品があるわけではなく、一連のシリーズとして書いていた作品群なんです。永島慎二のイメージから「黄色い涙」としたのは、最初にドラマ化されたときに付けられたのですが、(もしかしたら脚本家の市川森一さんが付けたのかもしれませんが)なかなか題名としては秀逸かもしれません。

観に行きたいと思いますが、主演があの嵐ですので、女の子の中にぽつんと一人おじさんがと言う風景はちょっと…ですね。
その上泣いてしまうかも(涙腺かなり緩めですので)
…少し恥ずかしいかな。

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最近見た映画 (デイジー)」

少し映画から遠ざかっていました。見る気分にならなかったと言うのも事実ですが、実際見たいと思えるような映画が無かったのも事実です。

久しぶりに韓国映画「デイジー(2005年アンドリュー・ラウ監督」を見ました。

オランダの風景の中の韓国人…どういう感じなのか、公開当時から興味はあったのですが、見に行くまでには至らなかったのです。今回TV放映があり家内が撮ったものを見ました。評価はともかく、主演の3人(チョン・ウソン、チョン・ジヒョン、イ・ソンジェ)はうまくオランダの風景に溶け込んでいたという印象でした。

さすがに「インファナル・アフェア」のアンドリュー・ラウその映像美には秀逸なものがあったと思います。欧州の古い町並みの描写、田園風景の描写、そして、お得意のアクションシーン…。

チョン・ジヒョンさんは「猟奇的な彼女」から大人の女優さんに近づいている感じがしました。

惜しむらくは、描きすぎの映画です。これは単に韓国人と日本人との嗜好の違いによるものなのかもしれませんが、日本人はどちらかと言えばもっと余韻を残す方を好みます。

更に、少しミステリー仕立てになっているのだからもう一歩踏み込んでほしかったと思います。最後にどんでん返しを付けるべきだったのでは…。

まあ、チョン・ウソンやチョン・ジヒョンのファンには一見の価値はある映画だとは思います。

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ゾウ語のはなし

造語ではないですよ、ゾウ=象の言葉です。
世の中には変わった研究をしている人がたくさんいるもので、アフリカゾウの言葉を研究している人がいるというのを今日のNHKのTV番組ではじめて知りました。
もう70語ほど解読できているらしいです。
それよりも何よりもゾウが会話していたという事実にまず驚かされました。母ゾウが子ゾウに教えるのだそうです。だから、親ゾウが人に殺され孤児になった子ゾウをひとが育てているらしいのですが、このゾウたちはゾウ語がしゃべれない。
ゾウにも挨拶の言葉があって、この研究者(ジョイス・プール博士という人で、30年もこの研究しているらしいです)がよく観察している群れに行ったら、ゾウ語で「こんにちは」と挨拶してくれるそうです。
近年いろいろな研究成果から言葉を操ってコミュニケーションしているのは人間だけではないことがわかってきているようですが、ゾウにも言葉があって、かなり細かいニュアンスまでやり取りしているようです。
ゾウが人ともある程度コミュニケーションが取れることは、たとえばタイのゾウ使いを見てもわかります。ここからもかなり知的な生物だということ窺い知れますが、言葉を操る生物だったとは知りませんでした。人の耳には聞こえない低周波(20Hz以下)も巧みに使って会話したり群れを統率したりしているそうです。
一時期ペットの気持ちがわかる機械がはやったことがありましたが…このときはかなりの眉唾っぽいものだと思っていましたが…。今日のこのドキュメンタリーを見て少なくともゾウは、共通の言葉をもっていて群れの中、群れ同士コミュニケーションも取れているのだそうです。そして方言もあるらしいこともわかってきているそうです。九州弁のゾウとか関西弁のゾウとかいるんでしょうね(笑)
もしかしたら近い将来、ゾウと何らかの機械を使ってコミュニケーションが取れるかもしれないですね。ちょっと未来にはゾウとe-mailするのがはやっていたりして(笑)
でも、このジョイス・プール博士の研究は貴重なものです。たぶんその世界では著名で有名なものだったのでしょうが、今日までまったく知らずにいました。
久しぶりに追いかけたい話題が出てきて大変満足でした。
これ、BS-Hiでしたからそのうち地上波に降りてくるでしょう。そのときは録画しなければ…。

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私の好きな映画たち(恋人達の予感)

久しぶりに「恋人達の予感(1989年 ロブ・ライナー監督)」を見てしまいました。

実はこの題名が大嫌いで(「藍色夏恋」より嫌いです)元題名の「When Harry Met Sally・・・」まあ「ハリーがサリーに会った時…」とか「ハリーがサリーに合ったなら…」と直訳した方がどれだけ良いか知れないと思いますが、また配給会社のバカヤローが変な題名にすり替えてしまっている。

まあ、それは別として、この「When Harry Met Sally・・・」 はいわゆるメグ・ライアン(当時28歳)の出世作ですね。相手役がなんとあのビリー・クリスタルですから。

ハリウッド的にはメグ・ライアン×トム・ハンクスもしくはメグ・ライアン×デニス・クエイド(後に結婚そして離婚してますが)なんでしょうけど、(後にラブコメの女王とまで呼ばれるようになる記念碑的な作品ですが)相手があのビリー・クリスタルだというのがとってもCoolだと思っています。

まあ、内容的にはいかにしてサリーとハリーは結婚に至るのかというありきたりな話なのですが、その舞台設定、両者の性格、哲学的ともいえる両者のこだわりで味付けされた、実に洗練された恋愛映画だと思います。

メグ・ライアンももうラブコメに出られる年ではなくなっていますが(46歳)、そこからとうとう脱皮できないで終わってしまいそうな…。片やもと旦那のデニス・クエイドはどんどんハリウッドでの存在感を増しているように思うということは以前どこかで書いたような気がしますが。

「恋におぼれて (1997年グリフィン・ダン監督)」を見たとき、映画自体はけっこう面白くって、マシュー・ブロデリックも結構好きな俳優さんですので良かったんですが、「ああもうラブコメは辞めた方がいいな」と思ったけど(当時36歳)まだまだ取り続けているみたいで…。(「You've Got Mail」=37歳も「ニューヨークの恋人」=40歳もその後ですもんね)

まあ、私より若いと言ってもそう変わらない年齢ですからね(ちなみに誕生日は同じですが!!)

まあ、今後どうなっていくのか興味があるっちゃありますが、女優さんの場合は一度色が付くと抜けるのに一苦労以上するんだろうなと思いました。…なんか、最後はメグ・ライアン批判になっちゃいましたが、この映画「When Harry Met Sally・・・」はお勧めです!!

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アメリカン・ニューシネマの時代と今

映画発祥の地はフランス人はフランスだとアメリカ人はアメリカだと思っているのだと思います。フランスの「リュミエール兄弟」もアメリカの「エディソン」も共に映画の父と呼ばれていますから。

その原理はどちらにしろ19世紀末に確立され、無声→トーキー→カラー→ワイドスクリーン→ビデオと発達して現在に至っているのですが…。

内容的にも娯楽的なものから芸術的なものまで幅広いのですが、1950年代末ごろに先ずフランスで実存主義の影響下いわゆるヌーベルバーグ運動が起こります。(ゴダールやトリュフォーが有名です)
少し遅れてアメリカでも1960年代半ばごろからアメリカン・ニューシネマと呼ばれるものが登場してきます。

それまでの映画が描いてきた善人はあくまで善人、悪人はあくまで悪人と言った描き方を廃して、善人と呼ばれる人たちも、悪人と呼ばれる人たちも人間として描くという描き方をするという運動だと自分なりに解釈しています。
また、無名に近い映画人が低予算で作りたいものを作るという特徴を持っています。

その先駆けとなったのが「俺たちに明日はない (1967年 アーサー・ペン監督)」です。
まさに実在の銀行強盗のボニーとクライドの実像を描こうとした作品です。
それまでは犯罪者が生き生きとした人間として描かれたことが無かっただけに、観客は衝撃を受けたのです。
アカデミー助演女優賞、撮影賞受賞です。
当時名優の名をほしいままにしていたシャーリー・マクレーンの出来の悪い弟と呼ばれていたウォーレン・ベイティが1961年の草原の輝きに続いてヒットさせてもうシャーリー・マクレーンの弟とは呼ばせないと言わしめた記念碑的作品でもあります。(草原の輝きは好きな映画のTOP10に入る映画で大好きなナタリー・ウッドの主演でもありますのでまた別の機会に)

卒業(1967年 マイク・ニコルズ監督)」は花嫁強奪をやってのけるダスティン・ホフマンが実に印象的に登場します。
マイク・ニコルズがアカデミー監督賞受賞で、サイモンとガーファンクルを一躍有名にした映画でもあります。(当時一番のご贔屓の女優さんのキャサリン・ロスが奪われる花嫁です)

明日に向かって撃て!(1969年 ジョージ・ロイ・ヒル監督)」これは今までの西部劇の作り方を変えてしまうほど強烈な印象を観客に与えました。実在のブッチ・キャシディーとサンダンス・キッドとその恋人エッタ・プレイスを描いた作品です。アカデミーは主題歌賞のみです。
このときサンダンス・キッドを演じたロバート・レッドフォードがその名前を冠した「サンダンス映画祭」を主催し、若い映画人の育成に力を尽くし、自らも映画制作に今も携わっているのは有名な話です。(またまた、当時一番のご贔屓の女優さんのキャサリン・ロスがエッタです)

イージー・ライダー(1969年 デニス・ホッパー監督)」
かの名優ヘンリー・フォンダの息子、ジェーン・フォンダの弟(実は私の好きなブリジット・フォンダのお父さんなんですが)主演で出来の悪い馬鹿息子の汚名を返上したので有名です。なんとあのデニス・ホッパーが監督しおまけにあのジャック・ニコルソンまで出ています。
まあ、反社会的を絵に描いたような中身で、アメリカン・ニューシネマというと私はこの映画が先ず頭に浮かびます。
特にコカインの密売で大もうけした主人公達が腕時計をすて、金があれば自分達はもう時間に縛られないと象徴させるシーンを今でもよく思い出します。アカデミーはノミネートだけで無冠です。

そして1969年にもう1本「真夜中のカウボーイ(1969年 ジョン・シュレジンジャー監督)真夜中のカウボーイとは肉体美だけで都会では生活できると信じたジョン・ボイド演じるカウボーイとイタリア系移民の詐欺師(ペテン師)のラッツオ(鼠)ことダスティン・ホフマンのお話です。(夢のフロリダまでは遠いのです…)見事アカデミー作品・監督・脚本賞受賞の傑作です。

フレンチ・コネクション(1971年 ウイリアム・フリードキン監督)」
暴力警官ポパイがフランスがらみの麻薬密売組織を追い詰める物語です。
あのジーン・ハックマン、「俺たちに明日はない」で主人公の兄役で出ていましたがこの作品でいきなり主演男優賞を受賞。まさに何でもできる俳優として大活躍していくのきっかけを作った作品です。クリント・イーストウッド監督の「許されざるもの」でも助演男優賞を受賞しています。
この作品自体はアカデミー作品・監督・主演男優・脚色・撮影の5部門受賞の傑作です。

カッコーの巣の上で(1975年 ミロッシュ・フォアマン監督)」ではジャック・ニコルソンが粗暴がゆえに精神病院送りにされる主人公を好演しています。アカデミー賞では作品賞、監督賞、主演男優賞、主演女優賞、脚色賞の主要5部門獲得の快挙をなしています。
監督のミロッシュ・フォアマンはチェコの出身ですが、いわゆる「プラハの春」のソ連のチェコ侵攻でアメリカに渡りアメリカ市民権を獲得した映画監督です。後に「アマデウス」でもアカデミー監督賞を受賞します。

そして、同じ年に少し精神を病んだ元海兵隊員を描いた「タクシードライバー(1975年 マーティン・スコセッシ監督)」で ロバート・デニーロ登場となります。またこの映画では13歳の娼婦役でジョディ・フォスターが出ているのも話題となりました。
パルム・ドールは取ったのですがアカデミーでは無冠です。

この映画「タクシードライバー」が最後のアメリカン・ニューシネマと言われています。

主な作品は以下です。(制作年 題名 監督)

1967年 俺たちに明日はない アーサー・ペン
1967年 卒業     マイク・ニコルズ
1968年 ワイルドバンチ    サム・ペキンパー
1969年 イージー・ラーダー   デニス・ホッパー
1969年 明日に向かって撃て!   ジョウジ・ロイ・ヒル
1969年 真夜中のカウボーイ   ジョン・シュレジンジャー
1970年 いちご白書    スチュワート・ハグマン
1970年 ファイブ・イージー・ピーセス  ボブ・ラフェルソン
1971年 フレンチ・コネクション   ウイリアム・フリードキン
1973年 破壊!     ピーター・ハイアムズ
1973年 ダーティ・メリー/クレイジー・ラリー ジョン・ハウ
1975年 カッコーの巣の上で   ミロシュ・フォアマン
1976年 タクシードライバー   マーティン・スコセッシ

何れもいわゆるヒーローの登場しない映画で強盗だったり詐欺師だったりヒッピーだったり暴力警官だったりします。

こう見ていくと結局自分の撮りたいものは何なのか?自分の演じたいものは何なのか?と問いかける運動であったのかもしれません。
それはまさに映画に限らず創造的な仕事の原点といえるのだと思います。
それを忘れたところに真実は見えてこないし、人々は評価してくれないのでしょう。だからテーマの向いている方向は偏見や権力の横暴や反共や公民権運動や人種差別だったりします。

また、監督や俳優が実はマイノリティーだったりすることが多いですが、これはやはり、以前「硫黄島からの手紙」でも書いたように、真に困難な境遇に遭遇した人は真実は一つではなく、ある真実の反対側に同じ量と質をもった別の信実が存在していることに気が付くきっかけを生来持っているということなのかもしれません。

時代背景がそのようなものを描かせたということもあるでしょう。
1963年にケネディー大統領が暗殺され、公民権運動が盛んに行われ、1961年にベトナム戦争が勃発し1973年に終結するまで泥沼のような状態だったことは良くご存知だと思います。1969年にアポロ11号の月着陸が明るい話題とされましたが、軍事技術の発展と表裏一体なのです。
いうなれば強いアメリカに影が差した時代と言えるのではないでしょうか。

これを書くのを思い立ったのは最近久しぶりに「明日に向かって撃て!」を見たからなんですが、ベトナムをイラクに置き換えたら今の時代に少し似ているようにも思います。
2001年の9.11事件、泥沼化するイラク戦争とそれをやめようとしない大統領。

しかし、成果の上がらない戦争に対しての苛立ちや、戦争そのものに対する嫌悪感は同じでも、冷戦時代の終結を受け、向いている方向が独裁政権やテロリズムになっています。

(決して怒りをイスラムに向けてはなりません。イスラム=テロリズムが何故か非イスラムの人たちに刷り込まれてしまっている今日の状況です。それは北朝鮮=朝鮮人=悪の枢軸と似ていますが決して間違えてはいけないことです!!)

しかし、クリント・イーストウッドがやったようにイスラム(ミスリム)の視点から今を描くということを近いうちに誰かがやるかもしれません。
そしてその意味ではアメリカはそれくらいの度量のある国であってほしいものです。

来年2008年は大統領選の年で、ここがかなり色々なことのターニング・ポイントとなると思います。

さて、映画の話に戻りますが、昨年クリント・イーストウッド監督が硫黄島2部作を撮ったのはやはりイラク戦争と無関係ではないと考えます。
彼は、共和党員ですが、どちらかといえばリベラルな考え方の人で、また実際に朝鮮戦争で従軍経験もあり戦争自体の悲惨さは身をもって体験している人です。
自分の描きたいもの=描かなくてはいけないものを描くという点でもそうですし、映画制作費的にも低予算で見事な映画が作れることを再度証明したような映画だという意味でもニューシネマ時代の映画と似ているとは思います。それを、娯楽映画の象徴のような「ダーティー・ハリー」のクリント・イーストウッド+「SFXの映画小僧」のスティーブン・スピルバーグがやったわけです。
反対に最後のニューシネマと言われる作品を撮ったマーティン・スコセッシが「大予算化」「アイデアの枯渇→リメイク」の象徴のような「ディパーデット」(インファナルアフェアのリメイク権を史上最高額でブラッド・ピットが獲得したことは有名ですが)ニューシネマ常連のジャック・ニコルソン(「イージーライダー」や「カッコーの巣の上で」に出演)などを使って撮る。実に奇妙な現象が起こっています。
「硫黄島からの手紙」はすでにナショナル・ボード・オブ・レビュー賞作品賞、第32回ロサンゼルス映画批評家協会賞最優秀作品賞、ゴールデングローブ賞外国語映画賞を受賞しています。
第79回アカデミー賞は「硫黄島からの手紙」「ディパーデット」は作品賞にも監督賞にもノミネートされています。さあ、どれが選ばれるのでしょうか?興味深いところです。

まあクリント・イーストウッドの3回目の監督賞受賞はわかりませんが、作品賞は「硫黄島からの手紙」がとり「ディパーデット」はご苦労様でマーティン・スコセッシが妥当な線のような気がしますが。

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春のワルツ 第18話について

先ほどかいた記事でCATV導入最初の録画が「春のワルツ」18話だったのですが…。
録画は出来ました。(その前に随分練習しましたから)
今日見てみると、ステレオで日韓両国語で録画されていまして、日本語で見ようと思ったらステレオを左に極端にバランスしないといけなくなってしまいました。
まあ、ちゃんと取れていたからいいとしますが、CPRM対応のDVDしか受け付けなくなってしまいました。DVD-RWのディスクがあったのでそれにダビングしましたが。

コンテンツを作る方々の著作権収入のことは理解できますが、何も次から次へとプロテクトを掛ける必要があるんですかね。多くの人たちは自分で楽しむためにしか録画していないのに、それをこんな形で制限してしまいPCに取り込んで編集すら出来ない形にしてしまう。

まあ、それはさておき…

ウニョンが、フィリップからことのすべてを聞いてしまいました。
ウニョンはすべてを諒解したようですが、あと2回ですべてのわだかまりを氷解出来るのでしょうか?

次はちゃんと取るからね「ウニョン」

今日は韓流フリークのtheta2でした。

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私の好きな映画たち(墨攻)

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久しぶりに重厚で中身の詰まった中国物の映画を見た思いです。
「墨攻」(2006年 ジェイコブ・チャン監督 中国・日本・香港・韓国合作)
中国を描いた日本の小説が漫画化されそれに感銘を受けた香港人の映画監督が、香港・中国・韓国・台湾の俳優やそれに日本を加えた国のスタッフを使って描くというまさに東アジアの映画関係者の総力で作り上げられた作品です。きっとそのどの国でも受け入れられる内容を持ち人々を感動させうる作品に仕上がったといえるのではないでしょうか。
私は、酒見賢一の同名の原作を数年前に偶然に手にして読んだときの感動が蘇ってきました。それは、漫画化されたときにも味わったもので、都合概ね3度同じ内容で感動を味わったことになります。
根本は酒見賢一の「墨攻」ですが、それぞれ当然別の味付けの「墨攻」となっていることはいうまでもありません。
はじめの「墨攻」は字の世界ですので、姿や動きを想像するしかない。2番目の漫画化で初めてその形が現れ、最後に映画化されて生身の革離が姿をあらわしたということです。

時代背景はこのブログの「中国映画を見るための私的中国講座」をご参照いただければおわかりいただけるかと思いますが、時代は紀元前の中国の戦国時代(東周末)今では諸子百家のひとつとして文字や言い伝えの中でしか残っていない墨子のおこした墨家集団の一人である革離なる人物が大国「趙」に攻められる小国「梁」を守るために奮闘する物語です。
墨家は兼愛・非攻を旨とすることをその信念としてもち、請われればどの国にも出かけて身をすり減らしてその国を守るのです。そのことから堅く守ることを「墨守」という言葉が生まれたことは有名な話ですが。

中身については触れません。

特に劉徳華(アンディー・ラウ)さん演ずる主人公「革離」は秀逸でした。「インファナル・アフェア」の華麗なアンディー・ラウからストイックで美のかけらも無い「墨攻」アンディー・ラウ…優秀な役者さんというのはすごいものだと思わずにはいられません。
それに対峙する趙の将軍「巷淹中」は韓国の名優 安聖基(アン・ソンギ)さんです。まさに立っているだけで存在感のある二人が知力を尽くして梁城攻防をする。(アン・ソンギさんは寝ているだけの役で日本映画にも出ておられましたが)

原作には無い逸悦という女性の戦士が登場するのにはちょっとびっくりしましたが、娯楽映画的なスパイスとしては、単にストイックなだけの革離よりはむしろ新鮮だったと思います。演じている中国から参加のファン・ビンビンさんなかなかキリッとしつつも色気のあるいい女優さんですね(笑)
また、台湾から参加の子団役のウー・チーロンさんはなかなかの存在感を示していたと思います。(才能を見抜いてくれた革離を最後まで擁護する役です)
韓国から参加の梁適役のチェ・シウォン君原作ではもうちょっといやみな役なんですが、いいところを持っていってしまいましたね。(春のワルツではアホな弟役なのに、王子様かよって感じですが)

若干不満な点を申し上げると、戦国時代は丁度「青銅器時代」から「鉄器時代」への変遷期ですので、いくら大国の趙といえども1兵卒まで鉄器を持っていたとは考えにくいと思います。鉄の槍や鉄の剣(両刃のものです)そして鉄の戈でしたが、多分実際の戦闘で使われたのは青銅のものだったろうとは思います。そしてこの時代の武器はやはり戈が中心で、「剣」(両刃)よりは「刀」(片刃)の方が多かったと聞きます。用いられているのは「剣」ばかりでした。まあそれは殆どの人が気づかないことだから良いとしましょう。

まさに東アジアの力を合わせた佳作の誕生といってよいと思います。

中東やアフリカで戦争の耐えない昨今ですが、そういう時期にこそこういう映画を皆が見て戦争の愚かしさに気が付いてくれればと思うのですが。

ご興味を持たれた方、ぜひ映画館に足を運んでください。惜しくも上映中に見逃された方は、DVDをレンタルしてでも見てください。本当の佳作ですので。

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つい見てしまうもの

最近日本の映画は最近良く見ますが、TVドラマというやつを一切見なくなりました。
やっぱり余り面白くないんですよ。
見るとしてもWOWOWのドラマWぐらいです。
最近放送された「MBO」はなかなかの力作でした。というより本当は森口遥子さんが好きなんで(笑)

この間も書きましたが韓国のTVドラマ「春のワルツ」はつい見てしまう。
どうもやはりあの儚げなウニョン役のハン・ヒョジュさんが魅力的なのだと思います。

結局、私の本の読み方や漫画の読み方や映画やドラマの見方は登場人物にどれだけ思い入れできるかにかかっているようです。小説を読んでいても一応映画化した際の配役を決めて読んでいるようなところがある。

例えば「ダヴィンチ・コード」は原作を先に読んで、主人公は40台ぐらいのハリソンフォードの設定だったところ、トムハンクスだって言われて、結局未だ見ていません。(トムハンクスは大学教授ってタイプじゃないでしょう)

「春のワルツ」はつい見てしまうんですが、最近の自己分析ではハン・ヒョジュさんが誰かに似ているのかもしれないと思ってその誰かを探しつつあるのですが、ぴったりした人が未だ特定できていません。(何人かには絞ったのですが)

明日第13回が放映予定ですが予告を見ると問題の「青山島(チョンサンド)」でチェハとウニョンの再会があるようで…。

見ていない方にはちんぷんかんぷんの話でしょうけど…。

さあ、どういう展開になるのでしょうか。(ユン・ソクホだからな~。今までのもの見てもあまりハッピーエンドにはしないんだろうな)

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最近見た映画(サマータイムマシン・ブルース)

ここのところ映画ネタでは若干暗めの物が続いてしまいましたので、軽めのコメディーを1つご紹介。
サマータイムマシン・ブルース(2005年 本広克行監督)
実はこれもまた2005年組なんですが…。
また、上野樹里さんが出ている映画です(相性がいいというか、何故か行き当たってしまうというか、何か何本も観ているとファンになってしまいそう!)

余り期待しないで観たんですが、これが結構面白い。
もしもタイムマシンがあったならばという発想で作られたものは多いですが、まあその意味から言ってありがちな話ですが、それを実にうまく使って面白おかしく仕上げている作品です。

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舞台はとある大学のSF研究会の部室で、いつの間にか部屋の中にタイムマシンが現れ、それに乗ってほぼ2~3日の間を人が入れ替わり立ち代り行き来するというお話なのですが…。まあ、この手の話には付き物のいわゆる「タイム・パラドクス」ってやつがテーマになっていまして、「過去を変えてしまうと、今が変わってしまう。下手するとこの世が消滅してしまう」って話になって、登場人物が右往左往するのですが…

どうも、殆ど部室まわりの画しか出てこないなと思ったら、元は舞台演劇からの映画化だったようで、妙に納得してしまいました。
中身をばらしてしまうと全く面白くないので言いませんが、なかなかに秀逸な出来ですので、肩の凝らない作品をと思ったら一番のお勧めです。
これから年末年始、どこにもお出かけの予定のないお方は、ぜひレンタルの中に一本加えておいてください。(カワイイ上野樹里さんも出ていますからね!)

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私の好きな映画たち(ミリオンダラー・ベイビー)

私は格闘技があまり好きではない。シナリオ通りのショー化されたものが殆どのように思われるからで、それならば荒唐無稽なカンフー映画を見ていたほうがよほどましだと思う。
でも何故かボクシングだけは別格の格闘技だと昔から思っている。拳だけでそれも上半身のみを殴りあう、ルールは単純で、基本的には最後にリングの上に立っていたものだけが勝利者となる。それまでのジャッジの点数にかかわらず、一発のパンチで、相手をマットの上に鎮めてしまえば勝者となる。いくら採点で優位でも一発のパンチで常に逆転されてしまう危機をはらんだ緊張感が好きだ。

「ミリオンダラー・ベイビー」(2004年 クリント・イーストウッド監督)
物語は終始ジムの雑用係のスクラップ(モウーガン・フリーマン)の重厚なモノローグで進められる。

フランキー(クリント・イーストウッド)がトレーナーを務める試合を見たマギー(ヒラリー・スワンク)は「自分はタフなボクサーだからトレーナーになってくれ」とフランキーに懇願するが「Tough ain’t Enough」(タフだけでは足りない)と一蹴される。
その言葉はフランキーの部屋の壁にも書かれているがその意味は次第に明らかになっていく。

マギーはそれでも、フランキーのジムに通い続けるが断られ続ける。しかし次第にスクラップの助力やマギーの熱意にほだされ、トレーナーとして指導をするようになる。
色々な技術を教えるが「一切の質問はお断りだ」という。そして「ルールは、“常に自分を守る”」それだけである。
トレーナーとしてもてる基礎をすべて叩き込みめきめきと実力をつけたマギーは連戦連勝するのだが…。

多くのボクサーは常に自己矛盾に直面している。何のためにファイトするのか=自分や家族のより良い生活のため、究極の目的は=チャンピオンになること、チャンピオンになるためには=強豪に挑戦し身を危険にさらすこと、それらがすべて矛盾しないで成立することは不可能なことは誰の眼にも明らかだ。

「Tough ain’t Enough」(タフだけでは足りない)と「ルールは“常に自分を守る”」は表裏一体で、「人が生きるということは何を意味するのか」を問いかける謎の一種と考えてもいいだろう。

私の好きな女優ヒラリー・スワンク演じる「マギー」、「スクラップ」ことモーガンフリーマン、「フランキー」ことクリント・イーストウッド。彼らの演技は重厚そのもので、その年の映画賞を総なめにした。

同監督の「許されざるもの」を知っていて似た匂いのするこの作品を観るのを躊躇っていたのだが、「硫黄島からの手紙」を観て、改めてこの作品を観ることにした。

「人間が生きていくことの意味は、他人の価値によって左右されるべきものでないこと」、そしてこれはもっと重要なことかもしれないのだが、そのこと自体が人とのかかわりの中でしか生まれ得ないものなのだということ。
クリント・イーストウッドはただ俳優として出た映画とは裏腹に、自らが監督する映画では淡々と語られるものが多い。それは監督自身の人間の存在そのものや、あり方を問いかける志向のためなのだと思う。派手な音楽や、きらびやかな舞台装置は必要としない。むしろ表現の妨げになると考えているかのようだ。
無論「ミリオンダラー・ベイビー」だけではなく「許されざるもの」、「硫黄島からの手紙」もそうである。そこにはクリント・イーストウッドの人間の存在の深淵を見つめる世界がひろがっている。

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最近見た映画(硫黄島からの手紙)

はじめに言っておきます。内容の良し悪しとは関係なく、こういった問題を扱ったこういう映画が、アメリカ人の製作・監督で作るという試み自体が驚異としか言いようがない。スピルバーグとクリント・イーストウッドだからなしえたのかもしれない。戦略上の要地硫黄島での攻防が苛烈であったことはつとに有名ですが、それはその当時、日米双方にとって双方2万人を超える戦死傷者を出しても行わなければならなかった聖戦だと位置づけられていたからでしょう。米国人であるクリント・イーストウッドは単にそれを米国側の立場と