心と体

ゆっくりした時間の流れ

Photo_66

おじさん、やっと田おこし始めたね。今は鳥の声ばかりの家ですが、もう少ししたら
○○○の声大きく聞こえてきます。

今は私は仕事をしていなくて、回りの自然を日々眺め薔薇がどんどん咲いていくのだとかビワの実や梅の実がどんどん大きくなっていくのを見つめてゆっくりした時間に身をかませています。

来週からそうは行かなくなるでしょう。少しの間お休みを頂いた分がんばって仕事をしていかなければなりません。

いま一日の半分はそんなことを考え、こんな提案をしようとか、こうやって全体の流れを捕まえようとか考えています。

子供の頃は本当に人見知りで、中学生の頃なんか、女の子とまともに話することなんて出来なかった私ですが、今は営業経験も経て、女性への当たり障りの無い会話術も身につけてきたんですが…。

ゆっくりした時間の流れの中からのリハビリが必要かなと思っています。

でも、まあこの場はいろんな人たちと話でき、リハビリにはなっていたかと思います。

今度の仕事は、ちょっと長躯しないといけませんので、半分ぐらいしか家にいられないかもしれません。がんばり過ぎないようにがんばろっと!!

| | コメント (2) | トラックバック (0)

多剤耐性菌について

生物と無生物の境目についてはよく分かりません。
自己再生産する機能を持つものを生物と呼ぶ場合もあります。でも自己再生産するウイルスは遺伝子とそれを取り巻くたんぱく質しか持たないので「生物」とは呼ばれないのが通説のようです。それは自己再生産する機能の部分を他の生物に頼っているからでしょうけれども、存在自身が極めて生物に近いことは確かです。(だから例えばHIVのようにヒトの細胞を使い増殖し、ヒトの命をも奪ってしまうのですが)

単細胞生物は上の考え方から言っても明らかに生物です。元は単細胞で自己を再生産するものとしてすべての生物は発生したのでしょう。それが進化の過程で多細胞生物になっていくのですが…。
だから、ブドウ球菌も大腸菌も緑膿菌もヒトと祖先は同じなのですがそのことには極めて不思議な感じがします。

MRSA(メチシリン耐性ブドウ球菌)が話題になったのはもう何十年も前のことです。
その後VRE(ヴァンコマイシン耐性大腸菌)が話題になり、今MDRP(多剤耐性緑膿菌)が猛威を振るっていることは何かでご覧になったことがあるかと思います。

これらはいわゆる弱毒菌と呼ばれそれほど強い毒性を持たない細菌で、普通の健常人が感染したからといって死に至ることが稀なものなのです。しかし抵抗力をなくした老人や寝たきり患者が感染してしまうとその免疫系や体力の弱さのゆえに死に至らしめるケースがままあります。

しかし、「それはそういうことだ」として放置されてきたがゆえに、MRSA、VRE、MDRPが幅を利かせる結果になっています。

それはなぜかといいますと、強い毒性を持つ菌に対しての特効薬は皆が研究し早くが作られるのですが、弱毒菌と呼ばれるものは放置されがちで、強く幅広く効く抗生物質で効くのですが、それをターゲットに開発されていませんのでそれをすり抜け進化を繰り返し(単細胞ですので世代交代のスピードは人間のそれとは比較にならないぐらい速いのです。また両性生殖しないけれども、個体間の遺伝子の入れ替えなどの手法をとりますので更に進化を加速します)多くの抗生物質に抵抗性を持つ細菌を生み出してしまうのです。

そうとだけ言うと自然の摂理の玄妙さだといえなくも無いのですが、人間の側も決定的な過ちを犯しています。
抗生物質を無原則に使いすぎたのです。
医者のすべてが感染症の専門家ではありませんので、無理からぬところがあるかもしれませんが、症状だけから菌の同定をしないで広い細菌に効く抗生物質を安易に処方したことによって、MRSA、VRE、MDRPを生んだということは否定できないのです。
純粋に科学的に考えれば、何十年も前にそれらの弱毒菌の脅威を指摘されていたにもかかわらず今に至ってもどんどん多剤耐性菌を生み出しているのはお粗末としか言いようがありませんが…。(まるで以前取り上げたケスラー症候群の様です)
また薬品メーカーの医師に対する宣伝活動にもやはり問題はあったかと思います。
(これには自分自身で加担していたわけですから、責任の一端は私にもあります)
こうなる可能性があると知りながら、必要の無い抗生物質の処方を宣伝していた面が無いとは言えないのですから。(予防や適応外の感染症に対しての処方の可能性を示唆する宣伝を行っていなかったとはいえません)

ですから、今の多剤耐性菌の出現は自然の摂理+医療担当者の怠慢+医薬品メーカーの姿勢が生み出した怪物といえるのかもしれません。

医療に関しての高支出に庶民が耐えているのは、やはり患者の側に立って命を守る医療を期待しているかに他ならないのですが、今の医療体制がそうなっているとは考えにくいと思います。
もし、医療の現場が自然の摂理ではなく、経済的な問題によってゆがめられ混乱しているのだとしたらそれは看過できない問題ではないでしょうか。

多剤耐性菌の出現はその他の市場原理優先が引き起こす問題の極めて端的な一例といえるのではないでしょうか?

| | コメント (2) | トラックバック (0)

私の好きな映画たち(映画や物語への感情移入編)

何度か書いていますが、私は感情移入の激しい人間で、私は涙腺の極端に緩い人間で、普段人が泣かないようなところでも泣いてしまうし、普段人が腹を立てないようなところで大いに怒ってします人です。
前回紹介の「ALWAYS  三丁目の夕日編」(2005年 山崎 貴監督)ではほぼ泣きっぱなし状態でした。最初の一平君が模型飛行機を飛ばすシーンでもう「しまった」と思ったのが最後でした。六ちゃんを見ている眼がもう一平君の目線になっていたし、堤真一さんの演じる鈴木オートの社長が六ちゃんに謝るところは鈴木オートの社長の目線になっていました。なんか登場人物が直ぐに憑依しちゃうんです。

中国史講座で書いた「砲艦サンパブロ」(1966年 ロバート・ワイズ監督)(戦艦ポチョムキンじゃないですよ、富士店長!)では完全にフレンチーになりきってメイリーを愛していましたもん(笑)

極めつけは蟻塚亮二先生の「うつ病を体験した精神科医の処方箋」のような本を読んだときにも
「…『努力して正当に報われる社会』でないとうつ病は治りにくい。もっと言うと、うつ病患者は成功体験に飢えており、社会が屈折して『正直者が馬鹿をみたり』、『努力しても報われない』社会になるとうつ病は治る糸口を失う。」
と読んだだけで涙腺が開いてきてしまいます。
更に「うつ病の多発と自殺者の増加、『ニート』と呼ばれる若者の増加などの背景には、硬直した、『努力しても報われない』社会の流れがある。」と読むともう涙腺全開状態です。
電車の中だと大変です(笑)

何ででしょうかね、いつも怒ったり泣いたりしているのに、いつも反省して謝っているようなこういう性質のこういう人間です。しょうがない50歳でした。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

山仕事

蟻塚亮二先生の「うつ病を体験した精神科医の処方箋」を読み、実は人生観が若干変わったような気がします。
本の中で、「寡思多動(考えてばかりで動かない)」はウツを生み、そこに陥りやすい今までの人生観と、それを防ぐ「寡思多動(考えずにちょこまか動く)」の事が語られています。
今私は「寡思多動」を座右の銘にして、日に何回かお経のように口の中で唱えます。

「かしだどう・かしたどう・かしたどう」

私は関西の山育ちの人間で、祖父の代まで農家でした。(でも、その周辺の地主でしたので比較的恵まれてはいたのですが)
子供の頃にはよく田仕事、畑仕事、山仕事をさせられたものです。
だから、鍬も(平鍬、三つ鍬…)、鎌も(稲刈りがま、草刈がま…)、鉈も、鋸も使えます…というより無理やり使わさせられました(笑)
まあ、後に農学部に進んだときその技術が農場実習で大変役に立ちました。
(君は鍬の使い方うまいなとよく技官さんに褒められたものです(笑)

「寡思多動」を目的に少し山仕事まがいのことをここの所していました。

庭の木蓮や梅も剪定しないものだから伸び放題。家の法面に生えたクヌギのも変な方向に枝が伸びてしまって邪魔。これを何とかしようという家内の仕事のお手伝いです。

家内は地方の公務員の娘ですので、私と結婚し、今の家に住むまでそんなことをしたことも無い人でしたが、今はみようみまねでいろいろやっています。

しかし実際にやっているのをみるとめちゃくちゃな使い方をしている。何でもかんでも鋸で切ろうとする。細いのは剪定ばさみで切ろうとする。本当の山仕事をやったことのある人間から見れば「ちょっと待て」ということになってしまいます。

幸い実家が隣ですので、鉈と枝切り用の鋸を持ってきて。「この太さは、鉈で一発」「この太さは、鋸でこう切る」「鉈は重いが良く切れる、振り上げ方はこう、立ち位置はこうして、絶対自分の体に当たらないように使う…」田仕事、畑仕事、山仕事をやったことのある人たちにはもう常識中の常識を家内は知らないのです。(まあ、当たり前ですが)

しかし、思わず熱中してしまい良い「寡思多動」が出来たかなと思っております。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

秋休みの中休み(part2)

昨日また会社に出てまいりまして、7階建てのビルの事務所や研究室のあるフロアのすべてを訪問して同僚と色んな話をしてきました。
今の会社は転職で入った会社(実はみんなが知ってる大企業なんですが)からの出向だったんですが、合弁解消で今は完全外資になってしまっています。最初は自分の意思で2回目は会社の都合で転職したようなもんです。
だから出向してきた当時は全員某大企業の社員の身分だったわけで、割と和やかで、遊びの多い仕事をさせてくれる企業でした。だから営業も技術もその遊びの中から新しい技術や得意先や用途を見つけてずっと右肩上がりの成長を続けるいい会社でした。
ところが、完全外資になってその後親会社の親会社(これもまた皆さんご存知の世界的な超巨大企業ですが)が別の会社に会社を売っちゃったんです。つまり親会社は変わらないけど親会社の親会社が変わってしまったんです。(ここも結構名の知れた世界的な企業ですが前の超巨大企業ほどではありませんが)
そしたら青い目の日本人なんかが直ぐにやってきて取締役になり、今は社長です。
極めてクールな財務担当重役がやってきて今は常務です。生え抜きの人は一人だけただの取締役。私の上司ですが合弁だったころからクールな人だったんで…。
この会社に勤めて十数年になりますが、その間にバブル期、バブルの崩壊なんかがあって時代も変化したんですが企業風土がこんなに変化した会社も珍しいんじゃないですか。
いまはほんとの超外資系企業って感じになっています。仕事に遊びの部分が全く無くなってしまってる。だからほんとは優秀なアイデアマンがもがき苦しんでいる。そんな会社に変貌してしまっています。
さすがに十数年もいるとほとんど顔見知りなんですが(おまけに私は色んな部署を転々としていましたので)生え抜きの社員とは「時代が変わったね」っていう話で終始してしまいましたけど。
研究所に、ある日本の大企業向けの製品の販売流通で一緒に戦った戦友がいまして(研究員~営業~研究員と彼も苦難の道を歩んだ人ですが)と話しました。当時彼がその企業の担当営業で私が流通や製品の生産管理をしていました。よく一緒にその会社の工場や本社に行ったのを今でも覚えています。
彼も生え抜き社員で、某公立大学(偏差値はトップクラスで、私の娘の先輩です)の院卒です。アイデアマンで、研究所に戻って、いまもいろんなものを作っています。でも今の社風にやはりあまりなじめないようでした。私の秋休みを知ってて心配してくれてましたが、最後に「俺も、そうかもしれん、いやきっとそうや」と言ってました。
だから私は「おまえは多思寡動になってるんや、そこから抜けるには寡思多動になるしかあらへん」といっておきました。
時代の変化に柔軟についていけるひとはそれでいいでしょう。でも私を含めて取り残される傾向にある一匹狼的な人には生きていきにくい時代なのかもしれません。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

充電中

ストレスが溜まりすぎて、ちょっと電池切れ状態の私です。仕事もひと段落で今秋休みをもらって充電中です。ブログを読み返していてもすごく攻撃的で『王蟲』の攻撃色が出っぱなしですね(笑)
(だから、墨攻の話や宮崎アニメの話を振ってもらうと大変安らぎます!どうもありがとう!!)
お休み中何をしているか(する予定か)といいますと、主に荷物の整理…別に引越しするわけではないですが。いままでウン十年の人生で10回以上の引越しを経験している私ですが、そんな状態ですと何年も開けていない段ボール箱の5つや6つは軽くあるものです。その中に入っているであろうはずのものが見つからなくて同じものをまた買うという経験を何度もしています。始末に負えないのが本です。同じ本が何冊も出てくる。
だから荷物の整理=本の整理が先ず最初の仕事です。
大体本が多すぎて、本棚に収まりきらないというのは最悪の状態です。
確かに「耳をすませば」の雫のように本に囲まれて過ごす毎日というのも悪くはありません。もっとも私の場合は小説を書くでもなく無駄知識を溜め込む類の「高級遊民」にあこがれているに過ぎませんが。
どうもいかん事ですが蟻塚亮二さん著の「うつ病を体験した精神科医の処方箋」という本を読んでいますと私の行動パターンは「多思寡動」(動くより考える)みたいで、なんか理想家チックなところがあって最も「うつ」になりやすい…。だから少し秋休みをもらって「寡思多動」(考えるより動く)をモットーにして行動したいと思います。
本の整理、ネット上ではメルマガの整理。(もう休刊宣言出してしまいました)。HPの充実。もっと散歩して木工に精を出して(主に錆びかけた工具の手入れ)など、盛りだくさんに考えています。もっと映画も見て小説や漫画も読んでブログも更新していこう!!


ブログランキング・にほんブログ村へ

| | コメント (0) | トラックバック (0)

おさんぽ

どうも体調が優れないので掛かりつけの内科医(うちでは「かんじクン」と呼んでいますが)に先日の会社での健康診断結果持参で行ってみました。
かんじクン」曰く「異常はありませんね、ただ中性脂肪が高い…運動不足ですな」だって!それを思い出して今日はすこしおさんぽしてきました。
農村地帯の真ん中に住んでいる私の居住地はおさんぽにはもってこいの場所です。

Photo さすがにお彼岸、「彼岸花」が土手に咲いています。彼岸花は実は勝手に咲いているのではないのをご存知ですか?田んぼのあぜに咲いているのはかつて人が植えたからなんですよ。根っこに毒を含んでいるんですが、よく水でさらすなどしてデンプンが取れるんです。つまり非常食用なんです。(さすがに食べたことはありませんが)かつては私の実家も農家でした。田んぼのあぜに枝豆(大豆)を蒔いて育てたものです。「あぜまめ」と称していました。これはおいしかったです。いまスーパーで売っているものとは味の濃さが違う。

Photo_4

グルッとそこいらを一周して家に戻ってきたら隣の家の「かりんの実」もおおきくなっているではないですか。10月には黄色くなって収穫期を迎えますが、隣の家では全部落として しまってなんにもしない。実を砂糖とか蜂蜜に漬けたものを、湯に溶かして飲むと喉にいいのに。今度貰いに行こうかな。


ブログランキング・にほんブログ村へ

| | コメント (0) | トラックバック (0)