アニメ・コミック

チャグムという人

「精霊の守り人」というアニメーションがいま放送されています。
実は昨年BSで放送されていたものの再放送なのです。(私はBSで最後まで見ましたが今また再放送を見ています。)

優れた作品です。

物語は、ある事情から8人の命を奪ってしまった女用心棒のバルサがとある事情から、ヨゴという国の第2王子の用心棒を引き受けるという話です。

物語の世界は少なくとも今の地球ではなく、月も二つある星系のようです。

物語の背景は殆ど日本の古代を模していると思われ、他国とのかかわりはすこし違います。

第2王子のチャグムは「水妖」の卵を其の体内に産み付けられますが、聖なる王家の人は面妖な妖怪が生みつけられることを嫌い、皇は第二王子のチャグムの命を奪おうとします。

そこからバルサはチャグムの命を救う物語なのですが。

明らかに物語の主人公は女用心棒のバルサなのですが、もっとも心惹かれる登場人物は第2王子のチャグムです。

チャグムはそういった運命や境遇を受け入れつつそれにそれに従った生き方をいつも考え受け入れようとします。それも自分の考えにしたがって自分なりのものにして受け入れていきます。

ネタバレしますが、最後にチャグムは王子として王宮に戻りますが、さぞやすばらしい皇となるだろうと其の余韻を残しながら物語は終ります。

人の器と言うことを人はよく口にします。それは実は本当にあることなのだろうと思います。自分の器はどのぐらいなのか…これがわからない。わからないから悩むのですが。

そういう意味では器はあってもその大きさはわからないのが本当のことかもしれません。

しかし、チャグムは市井の人とは違った大きな器があると、ところどころで見えるような物語るの構成になっています。

チャグムにはそれが自分ではわからないから悩み苦しみます。

この年になって初めてその意味がわかってきたような気がします。

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電脳コイルについて

毎週土曜日の18:30~NHK教育TVでやっている「電脳コイル」ですが、まだ途中ですが優れた作品で、間違えなくアニメのエポックになるでしょう。

私の考えるこのアニメのテーマは「認知とは」と言うことだと思います。

Wikipediaで「認知」を調べると

「心理学・言語学・脳科学・認知科学・情報科学などにおける認知とは、人間などが外界にある対象を知覚した上で、それが何であるかを判断したり解釈したりする過程のことをいう。
認知は「統覚」と「連合」の二段階にわかれた処理である。統覚は、風景などの知覚から形を取り出す働きであり、その形が何であるのかを判断する働きが連合である。認知の障害が失認であり、見えたり聞こえたりすることはできてもそれが何であるか理解できない(連合の障害と統覚の障害とでは症状には差異がある)。見たものが認知できない視覚失認のほか、相貌失認・手指失認など様々な症状があり得る。 」

とあります。

電脳コイルではメガネといわれるものを使って電脳空間への出入りをします。実際に触れることのできないペットを飼ったりしますし、電脳空間の吹き溜まりみたいなところで人間の認知の及ばない現象などが起こったりしている話です。

それが日常となった世界では、「認知」の概念を少し拡張してやる必要があるのかなと思います。つまり触れることのできない人との交わりと言うことです。

いま、私はブログをやっています。このブログの読者で触れることのできる人は極限られています。触れることのできる関係にある人の友達であっても、このブログ上では触れたり見たりすることさえできません。

でも、私はそんな人たちのパーソナリティーやアイデンティティーを確認でき付合ってコミュニュケーションを取っています。

それは、やはり認知していると言うことで、「認知」の定義を大きく変える必要があるように思います。

生身の人間とメールやチャットしていても生身の人間として捕らえている自分がある以上、そのベースの上に立って人に対する認知を考えるべきかと思います。

電脳社会がいままさに広がっていて、「電脳コイル」のような世界は間違えなく社会インフラとして整備されていくでしょうしそれはそんなに遠い未来ではないでしょう。

精神科学がそれに追いつかないのが現状かと思います。

精神科学者の皆さんがんばってください!!!!!

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浪燕青いわく「姫さん」

「彩雲国物語」

今、第2シーズンですか?

第1シーズンあたりを今地上波に降りてきています。BSでは第2シーズンぐらいですからNHKで週に2回別シーズンの放送があります。

面白いです、このアニメ。もちろん、主人公の紅秀麗が好きになれればの話ですが。

私は主人公の紅秀麗が大好きですからこのアニメも大好きでずっと見ていられます。

彼女は完璧とは言いがたい若い女性ですが、その目線はいつでも真剣で、今わたしにできる最大のことはというものです。そんな人いませんよと皆さんは言うでしょうが、そうでしょうか?

わたしの職場にも紅秀麗はたくさんいます。自分の状況で一所懸命にはたらいている人。

パートのUさんも、Fさんも、Yさんもそうです…みんな紅秀麗みたいに輝いていて、本当に一所懸命にはたらいています。自分がそうであるように、紅秀麗はそんな人々を決して見放さない…それを甘さと言われることも多いようですが。でも決して見放せないのが紅秀麗の美徳であり魅力なのです。
同じように年齢に関係なくそんな人々はわたしには底抜けに魅力的に写ってしまいます。そして愛してしまいます。

浪燕青いわく「姫さん」の紅秀麗はそんな人々の代表として、画面の中で活躍しています。

主題歌が平原綾香さんだというだけで見始めたアニメでしたが、いまはそれを通り越して紅秀麗の魅力にはまっている自分がいます。

地上は版でもBS版でも少なくとも3回は見てください。それでだめだったらあきらめてください。でも、このブログを毎回見ていただいている方でしたらきっと気に入っていただけるだろうと思います。

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粒ぞろい!

今、土曜日にやっている衛星アニメ劇場、近来稀に見る粒ぞろいですね。

これは実はかなり前から私の土曜日の定番でして、これを見るために土曜日の早起きをしていると言っても過言ではないです。

NHK制作ののアニメは伝説の「未来少年コナン」以来結構質が高いことには定評があると思います。

以前「プラネテス」と「ふたつのスピカ」を同時にやっていたときにはうならされたものです。

30分づつ3作品をやるのですが今は、「精霊の守人」「マスターキートン」「彩雲物語(2ndシリーズ)」の3つですが、これがどれもよい出来で、粒ぞろいです。

「マスターキートン」はOVAからの放送だと思いますが、他2つはオリジナルかと思います。

おのおの世界観もトーンも違う3つを同時に放送することで、実に豊穣な時間をすごすことが出来ます。

アニメなんてと思っているそこのあなた!一度ご覧下さい。絶対引きこまれますから!

まあ、アニメに興味のないお方も一度ご覧あれ。

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私的中国史講座~第12回~

漢の武帝時代のことを適当に

中華民国からど~んと遡って漢の武帝時代のこと。
第3回でさらっと流しましたが、この時期が漢の絶好調の時代です。
まあいわば江戸時代の元禄時代、みたいな物ですか。

前述のように有名な司馬遷が史記を著したのもこの時代で、史書というのはここからはじまり、そして同じような紀伝体で史書は書き続けられます。簡単に言うと通史を「紀」で、人物を「伝」で書くというやり方です。今でも「なんとか列伝」というのがあるでしょう。人物をあれこれ挙げて批評するやり方。あれは司馬遷さんが始めたのですよ。

余談ですが元の時代に「十八史略」というそれまでの18の史書の解説本みたいなのを曾先之という人が書いたんですが、それを現代の作家「陳 舜臣」が「小説十八史略」という形で小説化されています。中国の通史を勉強するためには、この本は欠かせません。ご興味のおありの方はぜひご一読を。(まあ、これも私のネタ本の一つで読まれると困っちゃうところもあるんですが)

この陳 舜臣さん司馬遼太郎さんなんかと同じ大阪外国語大学のご出身で、確か司馬遼太郎さんの1年先輩でいらっしゃったはずです。作風はかなり違いますがお二人とも優れた作家でいらっしゃいます。(司馬さんはもうお亡くなりですが)

随分横道にそれましたが、まあ、皇帝の力は絶大で「封禅」と言う儀式をやったらしいのですが、これは紛れも無い大皇帝だけが出来るという儀式で、始皇帝と漢の武帝しかやっていないらしい。どういうものなのか今はわからないのですが、神に対して祈りをささげる的な事だったのでしょうか?始皇帝にしろ武帝にしろそれを行うという政治的な効果を狙ってのことだから、ことさら詮索してもしようが無いような類のことだろうと思います。

諸星大二郎という漫画家は中国物を書くのが好きな作家ですが、この「封禅」についてもかなり興味を持っているようで、時々この時代のことを書くときに登場させます。
諸星大二郎の「無面目」というのもこの時代を描いた作品です。
基本的には荘子の中に出てくる説話の「混沌」の話を漢の武帝の時代に持ってきて大きく膨らませた話で、諸星大二郎作品の傑作の一つです。

武帝周辺の話ですので、その時代を映す多彩な人物が登場します。
無面目の主人公は「混沌」=「欒大」(らんだい)という方士(まあよく言えば超能力者、普通に言えば手品師、悪く言えば詐欺師みたいなものです)なのですが、私が好きなのはこの物語の案内役(作家はトリックスターという言い方をしていますが)東方朔という人物です。

この人地方で手習いの先生(塾の先生)をしていたのですが、文章でいかに自分がすごいかって言うことを、朝廷に送って、取り立てられてお役人になる人なのですが…。

前出の「捜神記」にもこの人の逸話が載っていますし、「列仙伝」という書物にもその逸話が載せられています。もちろん正史の「漢書」にもその列伝のある人物ですが。まあ、武帝の周辺に居た数多くの相談役兼おどけたピエロ役的な人だったんでしょうね。

「列仙伝」には頭巾をおいたままどこかへ行ってしまい仙人になったと書いてありますが。
「捜神記」では、武帝の行幸中に化け物が現れてそれを酒をかけるだけで退治した。なんていう説話が書かれています。

この、「無面目」と言う話でも、武帝の相談役をしながら時々仙界に行き仙人と会話するという役を演じています。そして途中で尸解仙となるのですが…。

どうも、仙人にも位があって天仙、地仙、尸解仙と言うそうですが、尸とは生と死の中間という意味なので、まあ仙人では一番下のランクなんでしょうね。
(まえにキョンシーってはやったの知りませんか。キョンシー=僵屍です。この屍の元の字が「尸」なんです。なんとなくイメージが解るでしょ。死んでいるんだけれども動いてくるゾンビ=僵屍のイメージです。だから死と生の中間に位置することをが「尸」の概念のようです。)
武帝の時代を知りたかったら先ずこの漫画を読むことをお勧めします。

前回がかなりシアリアスな内容だったので今回は軽めにこの辺で。

次回はまた何が登場するかわかりません。

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チュウボウの恋

チュウボウって何のことだか知っていますか?
私の娘(いまどきの女の子)から聞いて始めてその意味を理解しました。
「チュウボウ」=「中坊」つまり中学生のお坊ちゃんお嬢ちゃんのことなのだそうで、
述語の使用方法は「最近のチュボウは超ウゼー」となるのだそうです。
つまり私どもが普通に使っている言葉に翻訳しますと「近頃の中学生のお坊ちゃんお嬢ちゃんたちは大変に目障りだ」と言う意味になるそうです。なんか日本語なのかどうなのか良くわからないので、最近の若者言葉を出来るだけ娘から聴いて習得するようにしています。(そうしないと、ネット社会ではおじさんたちはわからない言葉の大波で沈没してしまう)
そういえば「チュウボウ」といえば以前宮崎駿のことを書いたときにちょっと触れた
「耳をすませば」(1995年 近藤喜文監督)は「チュウボウの恋」の話でした。
95年の映画ですから、もう10年前になるんですね。実は青っぽいこんな話や以前書いた「藍色夏恋」(=藍色大門)なんかは大好きなんですよ。

そりゃ、ねっとりした妖女の出てくるのも嫌いじゃないですけれど、こういうさわやかな風が吹きぬけるような青春ものも大好きです。

「耳をすませば」はどうも東京近郊の多分京王沿線が舞台で、「文筆家」になることを夢見る雫という女の子と、バイオリン職人になることを目指している聖司という男の子の恋の物語なんですが…。雫や聖司の将来に対する不安(特に中学生という、初めての受験をひかえ「ここで人生決まってしまうんだって」選択を親や先生達から突きつけられている状態で)本当に真面目に真摯に自分の将来を考え自分の範囲内で葛藤している姿には感動をしてしまう。それを見守るのは実はそれより2世代前の老人達だというのも私の涙腺を見事に開いてしまうのですよ。
中学3年生の雫は自分の後輩達のためにジョン・デンバーの「Take Me Home,Country Roads」(映画の中ではオリビアニュートンジョンの「カントリーロード」が使われていますが)を訳詩しています。

ひろりぼっち 恐れずに 生きようと 夢見てた
寂しさ 押し込めて 強い自分を 守っていこう

カントリーロード この道 ずっと行けば
あの町に 続いてる 気がする カントリーロード

歩きつかれ たたずむと 浮かんでくる 故郷の町
丘を巻く 坂の道 そんな僕を 叱っている

カントリーロード この道 ずっと行けば
あの町に 続いてる 気がする カントリーロード

どんなくじけそうな時だって 決して涙は見せないで
心なしか 歩調が速くなっていく 思い出消すため

カントリーロード この道 故郷へ 続いても
僕は 行かないさ 行けない カントリーロード

カントリーロード 明日はいつもの 僕さ
帰りたい 帰れない さよなら カントリーロード

この歌詞は本来の「Take Me Home,Country Roads」を離れ故郷を離れて生きている人
故郷に帰りたくても帰れない人に、強いエールを送っている。

私は結局故郷に帰ってきてしまいましたが、本当は誘惑に負けて帰ってくるべきではなかったのかもしれません。誘惑に負けないで今も異郷でがんばっている人たちがんばってください。自分の故郷にまだ居る主人公「月島雫」がなぜこの歌詞をかけたのかは知りませんが、製作者の意図は強く伝わってくる佳作です。

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今は歩きつかれた私の応援歌です。
また、多くの音楽ファンの皆様へ。この中で演奏される中学生と老人達の「カントリーロード」のジャムセッションは実に見事ですから、それだけでも見る価値があると思いますよ。
もう皆さんお分かりのようにこの「耳をすませば」は「チュウボウの恋」を超えて色んな人にエールを送る映画になっているんです。
心に風邪をひいたときには、きっと特効薬になってくれることでしょう。

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銀英伝もう一度

「銀河英雄伝説」がなぜ人々に支持されるのかなどということを考えていました。
その一つには多彩でリアルな人物像が生き生きと描かれているからでしょう。

極めて優れた用兵家として描かれる自由惑星同盟のヤン・ウエンリーと銀河帝国のライハルト・フォン・ローエングラムを筆頭にして、その各々に連なる人物たち。それが実に生き生きと描かれている点でしょう。
ヤン・ウエンリーとライハルトは常にお互いを意識し尊敬すらしつつ、敵として戦いその戦略や戦術の中でしか語り合うことを許されない関係です。
ヤンは常にその後輩に軍事独裁を恐れる自由惑星同盟政府の妨害を受けつつ、ラインハルト門閥貴族らに行く手を阻まれつつ、各々違う自分の信ずるもののために、その地位とはかかわりなく常に前線で戦い続けるのです。
そこには常に、その二人のことを信じてヤンには「伊達や酔狂での革命」を行う連中がラインハルトのもとには、「矜持にかけて黄金獅子死守」しようする将帥たちが集まり、お祭り騒ぎを始めるのです。

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その二人ですがバーミリオン会戦後ただ一度だけ直に会見するのですがその中の一部です。
ヤンはラインハルトに「嫌いな奴はいないのか」と聞かれ
「私がきらいなのは、自分だけは安全な場所に隠れて戦争を賛美し、愛国心を強調し他人を戦場にかりたてて後方で安楽な生活を送るような輩です。こういう連中と同じ旗のもとにいるのは、耐え難い苦痛です。」
またヤン・ウエンリーは
「あなたはちがう。つねに陣頭に立っておいでです。失礼な申し上げようながら、感歎を禁じえません。」
ラインハルトはそれに対し
「なるほど、その点だけは私を認めてくれるのだな。素直に喜んでおこう」
と答えます。
最前線で尊敬される指揮官は、常に最前線に出ている最高指揮官なのだです。「銀河英雄伝説」がずっと愛され続けているもう理由の一つは、「武侠小説」と同じで、後ろで旗を振る奴らを絶対に許さないという点にあると思います。

私を支配している「株主の方々がは」顔も何も分からないし誰なのかを知らない私は怨嗟の声を上げる方法を知りません。経済は軍隊ではないですから、私が考えている以上に複雑に出来ていて、そんな人たちは存在しないのかもしれません。しかし、私の知っている「指揮官」たちは決して前線のことを知らないのは確かです。そして前線で指揮しているようには見えませんが、それは私の目が曇っているからなのでしょうか?


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日本人の琴線

今日息子と話をしていて、「そういえば『ハウルの動く城』をまだ見ていないね」って話になりました。
この息子というのが子供の頃から変なやつで(今でも変ですが)、1987年生まれの彼ですが,まだよくしゃべれない頃から「となりのトトロ」(1988年 宮崎駿監督)毎日のように見て育った人で、いまや宮崎駿の信奉者のひとりとなっているようです。

宮崎駿といえば、NHK第1回製作アニメ「未来少年コナン」(1978年 宮崎駿、高畑勲、早川啓二演出)全26話、当事まだ高かったレーザーディスクを買い、レーザーディスクのBOXまで購入した思い入れのある作品です。

「ルパン三世 カリオストロの城」(1979年)
美少女を見て「可憐だ」という五右衛門もせりふは今でもうちで使われています。
クララは可憐過ぎるし、ルパンもかっこよすぎです。

「風の谷のナウシカ」(1984年)
宮崎駿の本格的な映画デビューと言って差し支えない作品でしょう。
「七人の侍」に匹敵するほど名セリフの連続です。
「この者、青き衣をまとい、金色の野に降り立つべし。おお!言い伝えはまことであったのじゃ」
「ユパ様、これをもっていってくださる。気流が乱れてうまく飛べないの」
などなど、よくうちの会話にも出てきます。

「天空の城ラピュタ」(1986年)
「目が、目が」といって目を押さえる。(ムスカのセリフ)
これも、うちでは頻繁に出てくるギャグです。

「となりのトトロ」(1988年)
誰かが物を頼んで「ねえ、明日?明日!」
「お前はメイチャンか!」
このボケと突っ込みは頻繁に登場します。

「魔女の宅急便」(1989年)
「気取ってやんの」黒猫のジジのセリフ。これも良く使われています。

「紅の豚」(1992年)
「飛べない豚はただの豚さ」これは私が良く使います。
ポルコロッソはほんとにカッコいと思います。私の息子はフィオ・ピッコロ嬢が好みだそうです。(私は、ジーナもフィオも範疇ですが!)
一般の評価は低いようですが、私の一押しの作品です。

以下2つは評価が高いものですが、時代が最近過ぎて余り見ていないからか、余り話題には上りませんが、佳作です。
もののけ姫(1997年)
千と千尋の神隠し(2001) 年

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また脚色に宮崎駿がかかわっている「耳をすませば](1995年 近藤喜文監督)も好きな作品です。

このように、宮崎駿のアニメは私の家に根づいているのです。
宮崎駿のアニメは舞台を日本以外に求めることが多いようですが、多分最高傑作の「となりのトトロ」の世界がやはり基本にあり、この作品は多分埼玉県辺りの自然を背景に描かれたものなのだと思いますがこれが、やはり日本の風景で関西人の私の琴線にも(もちろん幼かった息子の)触れるのだと思います。
宮崎駿が何かのインタビューで言っていたことですが「もっとも日本的なものが、もっと国際的なのだ」と。これはどういう意味なのか。これは、きっと特定の人々の琴線に触れる作品はそれを共有しない人々の琴線にも共鳴するということなのでしょうか。

さて息子さんの監督した「ゲド戦記」はいかがでしょうか?


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「墨攻」が映画になるって!!

とあるブログ(劉徳華=アンディー・ラウさんのファンの方のブログ)をパラパラと見ていますと、「墨攻」が映画化されるとの情報があるではないですか!あの酒見賢一の「墨攻」が!
早速リンクを辿って見ていきますと「伝説のコミック完全映画化!10万人の敵にたった1人で挑んだ男」ですと!伝説のコミック完全映画化!?あれは「伝説のコミック」なんじゃなくて酒見賢一の「伝説の小説」なんですよ!
主演のアンディー・ラウはいいですよ。「LOVERS」や「インファナル・アフェア」で名演した、香港の名優だと思います。だから「革離」をきっとちゃんとやるでしょうし見ごたえもあるでしょう。しかし許せないのは原作を「コミック」としたところです。

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もう一度言います。「伝説のコミック」なんじゃなくて酒見賢一の「伝説の小説」なんですって。コミック版と原作版の違いは私のメルマガに詳しく書いていますのでお読みください。

まんが談義に夜も更けて #9「墨攻」

原則的にまんがのことはメルマガで映画のことはブログでって決めて始めたんですが、その禁を少し破ってしましました。
でもこの映画「墨攻」はきっと見に行くでしょう。前売り券まで買って公開日に。
メルマガにも書きましたが、「市川崑」の「火の鳥」のように(市川崑でさえこんな大失敗を犯すのです)、またTVドラマ「水滸伝」(これも横山光輝が原作になっていましたし、なんと及時雨・宋江ではなく豹子頭・林冲が主人公になっていて、何ともひどい出来でした)のようにならなければいいのですが…。

まさか、「革離」ではなく「梁適」が主人公なんて話になりはしないでしょうね。(まさか「薛併」が主人公なんて事はないでしょうけど…でも何があるか分からないぞ…宋江ではなく林冲を主人公にする人間が世の中にいるのだから)
配役的には期待をしましょう。香港を代表する名優「劉徳華」(=アンディー・ラウ、きっと革離役でしょう)と韓国を代表する名優「安聖基」(=アン・ソンギきっと巷淹中役でしょう)が出ているみたいだし。
でも、黒澤明の「七人の侍」までとは言わないまでもまともな鑑賞に堪えうる作品になっていなかったらまた映画館の前で「金返せ!!!」と叫びますよ。


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帽子屋さん

某企業団地の中にある私の会社の周りには表向いろんなな会社が

ありますが、いったい何をしているところなのかほとんどわかりません。

会社の外に置いてあるものや看板を見て「ああ、ここは洋服の卸かな」

とか「薬品を扱っている会社かな」とか思うんですが、通勤の途中

よく通るところにある会社がなんの会社だかわかりませんでした。

今日の昼休み、昼食の後喫煙室にばかりいると

あまり健康的ではないだろうと、最近は少しすずしくなったしと

散歩に出ました。その会社の前を通るといつも開いていない

(いなかったと思う)ショウウインドウに帽子が一杯飾られているのを

発見!「ああ、帽子屋さんだったんだ」思わず写真をパチリと一枚

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私の敬愛する森雅之さんの「キス」というまんががありますが

「帽子というのは、オシャレでも、高級なもののように思えます。」

と書かれていいたのをふと思い出しました。

そして、自分でかぶるのではなく誰かに帽子をプレゼントしたくなってしまいました。

でも、まだ買っていません。

(よくわからなかったK****さんの店先にて)

(森雅之さんのまんがについては私のメルマガにも書いてますので、よろしかったらご覧ください。まんが談義に夜も更けて(森雅之「ポケットストーリー」)

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銀英伝がまた始まった

銀英伝」いわずと知れた田中芳樹の小説「銀河英雄伝説」のことです。
wowowではそのアニメ版の何度目かの再放送が始まりました。
実はうちではこの「銀英伝」の小説やアニメがまるでバイブルか何か
のように扱われています。

部屋に迷い込んだ蚊を退治するのにも
「ここは各個撃破に専念すべきだ」
「いや、ここはむしろ窓を閉めて重深陣を取って
包囲殲滅すべきよ」

寝転んだ娘を家内が起こすのに家内が手を差し伸べて
「行こう、キルヒアイス」
娘が家内の手を取り起きながら
「ラインハルト様、宇宙を手にお入れください」

まあ「銀英伝」あそびというやつですか。

でもまあ夫婦、大学生♀、浪人生♂…いい年して馬鹿やってる4人
家族です。

しかし銀英伝はキャラクターの性格付けがしっかりていて
ストーリーもおもしろく、色々な示唆に富んでいるので
何度見てもおもしろく、毎回再発見するところがありますね。

でも「銀英伝」あそびがまたひどくなりそう…。

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