猛暑を過ぎても…
夏のお盆前後にだけ、戦争について語るって言うのはどうも性に合いません。
でも貴重なドキュメンタリーなどを数多く流してくれているので、この夏も良く見ました。
この夏のドキュメンタリーで特に印象に残っているのは、ニュルンベルグ裁判を描いたものと東京裁判を描いたものでした。
御存知のようにニュルンベルグ裁判はナチスドイツの犯罪を裁く裁判で、東京裁判は日本帝国の犯罪を裁く裁判で、双方とも第2次世界大戦の敗戦国を戦勝国が裁いたものです。
ニュルンベルグ裁判のルドルフ・ヘス ナチ党総統代理の狂気もすさまじいものがありましたが、東京裁判におけるパール判事の強きものにおもねらず、自分の信念を貫き通す姿勢には少なからず感動を禁じえませんでした。
(実はある方からこの放送があったことを聞かされ、見逃したことを悔やんでいたら、直ぐに再放送されたので見ることが出来たのですが)
今現在でも国際的に、法の遡及適応は厳しく戒められており、それは国際的にも共通の概念であるはずです。しかし、東京裁判でA級戦犯として裁かれたのは「平和に対する罪」「人道に対する罪」というそれまでに全く無かった罪によって裁かれています。これはニュルンベルグ裁判でも同様です。
ですから、少なくともこの罪には問うことが出来ないはずなのですが、両裁判ではこれを罪に問い死刑宣告を受けた人が数多くいるのは事実です。
誤解無きように読んでいただきたいのですが、A級戦犯に罪が無かったのかというと戦争にかりたてた張本人としての罪はあったかと個人的には思います。
しかし、法体系がそれを裁けない状態ならば裁けないのが通例のはずです。
パール判事はそれを鋭く追及します。そして彼の独自の判決の中でも平和に対する罪及び人道に対する罪は大いにあると主張し、日本軍の犯した残虐性については大いにこれを戒める判決文を書いていますが、法体系がそれを罪に問えない以上それを問うことは出来ないということを一貫して主張し続けるわけです。
そして、結論としてはその罪に問われた人々の無罪を主張します。
更に印象的なのは、非戦闘員の無差別殺戮を行った米国の原爆投下の残虐性にも言及していたと言うことです。
インド人で、ガンジーの思想を強く受けたパール判事は強く是は是、非は非と主張します。
しかし、これは当たり前のことで、これをもとにした司法制度の確立こそが近代社会の礎のはずなので、是は是、非は非と出来ないいわばご都合主義がまかり通る世の中はどう考えても前近代的と言わざるを得ないと思います。
もっとも近代的な法体系を尊重したのがインド人の判事で、あくまでも「平和に対する罪」「人道に対する罪」に問おうとしたのがイギリスの判事だと言うのは実に皮肉なことだと思います。
しかし、あの場でそのことを強く主張し続けることの出来たパール判事は並大抵の人ではなく、まさに偉人の名にふさわしい人かと思います。
常に自分が法律だと思っている国もあるようですしそういう人もいるようですが、原則を貫くことの難しさは、いやと言うほど解りますから、パール判事のような人の存在は、常に思い出されなければならないのだと思います。それは、広島、長崎、パールハーバー、ドレスデンを忘れるなということ以上に…。




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