千社札と落書き
以前から不信に思っていたものに千社札というものがあります。
神社仏閣の門などに貼ってある紙製の札のことです。たいていの場合はどうもその神社や仏閣への参拝記念に貼り付けていくそうなのですが、当の貼られる側はどう考えているのでしょうか?
ここからは私の想像なのですが
① 神社仏閣は来るものは拒まずの姿勢で放置。
② 明らかな毀損行為だとみなし見つけ次第剥がし以降禁止とする。
③ 頃こそが神社仏閣の人気を示すバロメータなのだから大いに結構。
④ 文化の一部と認知されるのだからルールで決めた範囲を逸脱しなければ可
とこんなところかと思います。
確かに貼られる側の論理としては上のどれかだと思うのですが、貼る側の論理としてはいかがなものでしょう。文化的な伝統の衣を着ているが、宗教的儀式を超えた自己顕示欲の発散的意味合いが強いように感じてなりません。私などは、そのような趣味を持ち合わせておらないので、どういう気分でそういうことをされているのかがよく解らないところがあるのですが、好事家同士では色んな批評や批判が飛び交っているのでしょうか?
どうも近年は、本来の意味から逸脱した好事家同士の交換会があるらしいのですが、どんな集まりなんでしょうか?
私が千社札が貼られた神社仏閣の山門を見たとき、人の性の醜さみたいなものを感じてしまいます。少なくともその山門は宮大工たちが苦心して、それはそれのみで独立して鑑賞する存在として創り上げたものでしょう。その心を汚しているように思えるのですが。その建造物を創り上げた人への尊敬なり祭られている神仏への畏敬の念なりを示したいのならば、もっと別の方法をとってしかるべきもののように思います。
多くの場合、それを是とする人にも非とする人にも等しくそれを見せようとするのだから、宗教性を感じさせない自己顕示欲の発散的意味合いが強いように感じてなりません。
それはいったい何に似ているかといえば、昨今多く見られる落書きの類です。
新しい高速道路ができたら、その橋脚に開通前に直ぐに落書きが書かれている。
少し立つとどうも高速道の管理者がその部分を白く塗りつぶされている。しかしすぐさまその上からまた落書きをしていく…といういたちごっこを繰り返している。
これって千社札と根源的には何か似たようなものを感じるのは私だけでしょうか…。
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コメント
大工たちは、少なくとも昔の大工は縁起がいいとして喜んでいたことが多いのでは。自分の建てた堂のほうが、他の大工の建てた堂よりも沢山の千社札が貼られているという自慢話はよく聞いたし、古文書でもその数をことほいでいるものがたくさんありますよ。
千社札を貼るのも、一種の供養、ご祝儀みたいな時代があり、それが残っているのでは?
投稿: shirota | 2008年6月28日 (土) 03時34分
shirotaさん過去の記事へのコメントありがとうございます。
宮大工さんたちはその数を競われていたというのは知りませんでした。
人気投票的な意味合いもあったのですね。
上の写真の仏閣では千社札は禁止されていたため最寄のバス停に貼られていたものを写真に撮ったものです。
神社仏閣での受け取り方も様々なようですね。禁止しているところもあれば、専用の場所を設けているところもあるようですね。
おっしゃるように、神社仏閣に詣でるのが唯一のレジャーであった時代の名残なのかもしれません。
投稿: theta2 | 2008年6月29日 (日) 19時25分