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冬の田んぼ

江戸時代の川柳集「誹風柳多留」というのがありますが、その中に以下の川柳があります。

「冬の田は わさびおろしの ように見え」

ここで言う「わさびおろし」とは「さめの皮膚」いわゆる「鮫肌」のことで、江戸時代や今でもいいおすし屋さんでは、これをわさびおろしに使っています。

さめの皮膚は実はさめの歯になるものが一杯ついていて、さめは今使っている歯が無くなったら、皮膚の一部がまた歯になっていくんですよ。だから、さめの皮膚には等間隔に歯のもとが一杯ついているのです。刈り取られた田んぼに切り株が等間隔に並んでいるのがまるでわさびおろしのようだ
というのがこの川柳の本当の意味なんです。

でも今は2重の意味でこの川柳の正当な理解を阻んでいる。
一つは上に書いた「わさびおろし」もう一つは「冬の田」なのです。
冬の田がわさびおろしのように見えるためには、そこに地面と稲の切り株だけしかなかったからそう見えるのです。

もし今あなたが農村にお住まいだったら、今の田んぼを御覧なさい。都会の方だったら少し郊外に出たときに御覧なさい。
切り株から青々とした、新芽が出てきていて、田植えのあとの田んぼから水を抜いたような状態になってませんか?

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以下にその原因を推測します(事実も含みます)

先ず、苗の育て方が変わったからです。
私が子供の頃やったやり方は、もみを苗代にまいて、ある程度大きくなるまで育てて
それを一定本数づつわらで結わえて、それを手で田植えをしていました。この苗をを成苗といいます。(専門的には分蘖【ぶんげつ】がどのくらいかで分けますが)
しかし今は稚苗(いねは分蘖=株別れで成長するのですが、2~3分蘖の状態です。)
で田植えをします。

なぜそう変わったかといいますと。田植え機の登場によるのです。本当はそれまでのやり方(成苗)による田植えを機械化できればよかったのですが…。
成苗では機械にかけにくい、そのため今は苗代なんか作りません、育苗箱という(もち箱の小型みたいなのを想像してください)に播種機で種まきし、それを温室で、稚苗にまで育てます。
そしてそれをそのまま長方形の状態の稲を田植え機にかけ田植えしていくのです。
だから、昔は成苗でないと育たない(育ちにくい)稲を品種改良することでたくましい稲に作り変えたんだと考えています。

想像ですが、多分その副作用(?)で冬の田にも新芽が出てくるんだと思います。
もしかしたら肥料のせいかもしれませんまあ。越冬は出来ないでしょうから放っておけばいずれは枯れますが。また冬や稲刈り~春先に一度田んぼを掘り返す作業(秋耕や春耕)をやるでしょうから、そのときに全部なくなってしまいますが。

まあ、稲の作り方が変わったからといって米自身が変わるわけではないのですが、江戸時代から連綿と続いてきたであろう私の子供時代までの米作りは、私が大学で勉強し始める少し前から劇的な変化を遂げています。上の川柳はやがて死語となり消えてしまう運命だったのでしょう。

だがしかし、耕運機、田植え機や稲刈り機がないと米を作れない時代になってしまっていますから、稲は植物なので、土と水と太陽が育てるのですが、それを作るのに石油に依存してしまっているということもお忘れなく。

尾瀬あきらさんの漫画「夏子の酒」に幻の酒米「龍錦」を昔ながらの農法で復活するというエピソードがありますが、多分あの通り壮絶な戦いをしないと元には戻りません。

農家の皆さん、江戸時代から連綿と続いてきた稲作技術は一度絶えてしまったことになりますので、石油が来なくなったらもう米は出来なくなるということを良くお考えくださいね。いまのおじいちゃんおばあちゃんに一通りそのやりかとを聞いて今のうちからその保存をしておく必要があるんじゃないですか?

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